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【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
-教えて西廣さん!生物の適応進化から、気候変動の適応策に軸足を移したのはなぜ?地域での草刈り事情と共に伺います


 連載「ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー」。インタビュアーは“ミヤザキ”こと、宮﨑紗矢香です。

 環境研究の研究者ってどんな人?どんな社会を望んで研究しているの?背景にある思いなどをミヤザキ目線で深堀りし、研究、人柄の両面から紹介します!


Vol.07:西廣淳さん(生態学の専門家)


西廣さんと宮﨑さんが二人で並んで写っている写真

第7回のゲスト研究者、西廣さん(右)と筆者。研究所にて。

 近年、気候変動と並んで議論されるテーマの一つに「生物多様性」があります。

 人間の生活は生態系からの恩恵(生態系サービス)によって支えられており、水や食べ物、木材など様々な資源を得ているほか、森や海の環境は気候を安定させる役割も有しています。

 一方、経済成長や人口増加などによる生物多様性の喪失は、世界的な課題にもなっています。

 今回はそんな生態系の機能を活かして、気候変動の適応策に取り組む西廣さんにお話を伺います。朝ドラ「らんまん」の大ファンと話す研究者の素顔と、内に秘めた葛藤とは?

インタビュアー:宮﨑紗矢香

対話オフィス所属、コミュニケーター。大学時代、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのスピーチに心を動かされ、気候変動対策を求めるムーブメント、Fridays For Future(未来のための金曜日/以下、FFF)で活動。


学問の世界を知らない学生から植物採集オタクに?研究者を志すまでの意外な道のり


宮﨑 西廣さんは、国立環境研究所(以下、国環研)の中でも気候変動の悪影響にどう備え、好影響をどう有効活用できるか(適応)に特化して研究を行う部署「気候変動適応センター(以下、適応センター)」の副センター長を務めていますよね。

 専門は、生態系をいかした気候変動適応の研究と聞いています。まずはこれまでの経歴から聞かせてください。

西廣 僕は、大学に入るまで研究者という職業があることも、大学院があることさえも知らないような若者でした。大学は入試の勉強が嫌で、唯一推薦入試があった国立の筑波大学を受験したのですが、受験に失敗したら大学には行かずに就職したいと思っていたぐらいです。

 晴れて大学に入学してからは、図書館の蔵書に圧倒されたり、高校時代から学会に出入りしているような同級生から話を聞いたりして、「学問の世界」の存在とそれを仕事にできるということを知り、一か月ほどで研究者になろうと思いました。人に命令されるのではなく、自分でやりたいと思うことを選んでやれるのがいいなと思ったんです。

 そのため、もともとは全然素養がないというか、そういう世界を知らないことによる劣等感があったので、人よりたくさん勉強しないと生き残れないと思い、まずは目に入った植物の名前を全部わかるようになろうとしました。大学の敷地内の植物を全種類採集したり、NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」主人公の万太郎さんみたいに、家に新聞紙を積み上げて毎日標本を作るみたいな学生生活を送っていました。

 最終的に「進化生物学」で学位をとるのですが、小さいときから植物が好きとか、進化の研究を極めたいと思っていたというよりも、何かの分野で突き抜けないと研究者になれないと思って、植物に打ち込んでいたらはまっていました(笑)

宮﨑 適応センターのHPで公開されていたインタビュー(※注1)を読みましたが、小さいころから生き物の進化に興味がありました、と書いてあったのでそれは意外です。

西廣 中高時代から本を読んでいたので生き物や進化に興味があったのは事実です。それで学科も選んだので。

 しかし、大学に入ってからは研究者として職を得ることを強く意識して、何かに対象を絞った方がアプローチしやすいと考えるようになりました。それから生態学という分野に出会って考え方に共感し、大学院まで行きました。

 当時、生態学は基礎科学が中心で、環境研究という色合いは薄く、生物多様性という言葉もつくられたばかりでした。生物の生息環境が大きく変わっているのは知識や経験として知っていたけれど、そこに仕事で関わるという意識は、少なくとも大学院時代は薄かったですね。

 でも、最初の就職先である建設省(現:国土交通省)の土木研究所(以下、土木研)に行って、世界が大きく変わりました。

宮﨑 どんな感じで変わったのでしょうか?

西廣 院生の頃は、夢の中で自分が植物になるくらい自然や生物に思い入れを持つようになり、むしろ人間社会には距離感を感じて、「生き物側」の人間になっていました。だからたとえば毎日調査で通っていた森が道路に変わっていると、道路を作っている国交省は完全に「敵」みたいに感じていたんです。

 でも就職してみるとそれほど単純な話でもなく、土木分野の人たちと一緒に仕事をする中で色々なことを学びました。彼らは社会をどうしていこうかと真剣に考えていて、道路も必要だし、水害を防ぐにはダムも有効だし、そんな中で自然環境も考えていかないとよい社会にはならないよね、と複合的な視点で議論を始めていました。

 1996年に河川法が改正されて、河川環境の管理や保全も含めて河川管理師の仕事になるなど、法改正も大きく変わっていた頃です。

 しかし、当時の生態学分野の人たちは、土木分野の人たちは自然のことを知らないと批判する雰囲気が強く、残念に感じました。そこで自分の立ち位置として、二つの異なる立場のバランスをとるのではなく、土木も生態学も人間が手にした道具として活用しながら、社会に必要なものに向き合うという立場を目指したいと思うようになりました。

 だから、ひたすら生き物を守りたくて、そのための戦略を考えたいわけではないんです。人と自然がダイナミックに関わりながら歴史を紡いできた中で、今、新しいフェーズに入ろうとしている。その中で次の一歩をどうするかという議論に正面から向き合いたいと思ってやってきました。

宮﨑 なるほど。

西廣 そう思えたのは最初の就職先のお蔭ですね。

 そのあと、何度か転職しました。組織替えで土木研から国土技術総合研究所に行き、その次に東京大学で助教を11年半務めたのですが、その頃の学生さんの多くが国環研で活躍してくれています。東大のあとは東邦大学という私立大学に7年在籍し、それから国環研に来ました。

※注1 気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)のインタビュー記事は、こちら


開発か自然保護かではなく、開発にも使ってきた力を次の100年にどう使うか


宮﨑 最初の就職先での経験は貴重ですよね。ちなみに、西廣さんが生物学・生態学にそこまで惹かれるのはどうしてなのでしょうか?

西廣 そうですね。生き物は静的に固定されたものではなくて、周りの状況にあわせて色々変化しながら生きています。暑い年が続けば暑さに弱いものが消えて、強い遺伝子をもったものが残る。

 例えば、干ばつが続くと、フィンチという鳥のくちばしの形が大きくなるという研究もあります。進化は今でも起きていることですし、進化という時間スケールでダイナミックに世の中を捉えることが面白く感じます。

 今まで存続してきた生物の多くは、「適応」の産物ですよね。環境の変化に適応してきたものが今の世の中をつくっている。そういうことを知って生きていくのはすごく楽しいし、人生が豊かになると思います。

 進化の勉強をして世の中の見え方が全く変わりました。じつは温暖化の緩和策(温室効果ガスの排出を抑えたり、大気中から吸収したりして、温暖化そのものを抑える対策)には、正直なところ本気で興味を持てなくて、大事だとは思いつつも自分の生活を大きく変えるほどには至らないのですが、適応なら面白いと思いました。

 温暖化という状況で、人間はどんな振る舞いをしたらいいのかというダイナミズムに直接触れていく。

 もともと生物の進化に興味を持っていたのと同じで、変化する環境に社会がどう適応していくかという現象に興味があります。気候変動の適応策という発想に触れてはじめて、気候変動というキーワードが自分の関心に入りました。

宮﨑 私は去年、イギリスのシューマッハカレッジという大学に行ってきたのですが、地球46億年の歴史を4.6kmで歩く「ディープタイムウォーク」という授業は、進化の歴史を縮尺して歩くというワークでした。

西廣 ここで人類が現れたとか、最後の一瞬で温暖化したとか?

宮﨑 はい。産業革命が起きてから現在までは4.6kmのうちわずか0.2ミリです。

 私もディープタイムウォークを体験してから、現在だけではなく過去があったことを捉えることができたのですが、そうすると今も歴史のプロセスにいることがわかってきました。

西廣 地球を温暖化させてしまうぐらい、今は人間の力がとても強いので、次の一歩も色々な選択肢がとれますよね。地形と水の循環一つとっても、長い間、人間はいじることができなかったわけですが、今は低いところにある水を高いところに持っていけたり、山に穴をあけて新幹線を通せるような土木力を持っています。

 そうしたときに、自分が生きている時代にその力をどう使うかということに関与できるのは、ものすごくエキサイティングだと思います。ほどほどな力で自然を管理していた時代には、野生生物の急速な絶滅を起こすことなく、多様な生物とともに生きてきた歴史が日本列島にもあります。

 それがこの50年くらいで、山を一つ無くしたり、大きな川を塞き止めたりと、数万年以上の時間をかけてつくられた自然の基盤をあっという間に失うほどの力を得ました。また一見「みどり」に見える場所でも、稲だけの田んぼ、杉だけの森のように、千年以上の人と自然の歴史を経てつくられたものが急速に変化しています。

 この急激な変化の時代に、主流に対する一つのアンチとして自然保護運動が起きて、「開発」対「自然保護」という構図ができました。しかしその構図はこれから変わっていくと思います。

 これからは、開発が勝つか自然保護が勝つかではなくて、開発にも使ってきた力を次の100年にどう使うか選べる時代に変わってきています。僕、自然保護の人だと思われたくないんですよね。自然保護とか、生物多様性と言った瞬間にそう思われるんですけど。

宮﨑 わかります(笑)

西廣 生き物と人間、どちらが大事ですか?と聞かれるのですが、どっちもに決まってるじゃんと思います(笑)

 そうではなくて、土木の力もあるし、生き物の知識ももっている人類が、次のよい世の中を一緒に作っていく方にチェンジしていきたいと思っていて、ここ10年ほどは「グリーンインフラ」(※注2)という呼び方で活動したりしています。

 明確なゴールは持っていないのですが、持てる道具をフルに使って少しだけ世の中を良くして次の世代につなげられたら、いい人生だったなって思って死ねそうじゃないですか。遺言みたいですが(笑)

※注2 グリーンインフラとは?
社会資本整備や土地利用等のハード・ソフト両面において 、 自然環境が有する多様な機能を活用し、持続可能で魅力ある国土・都市・地域づくりを進める取り組み。


フィールドワークの写真

西廣さんが関わる地域でのフィールド活動の様子。


自然を大事だと考える声が同列に扱われる社会にしたいー東日本大震災での経験


宮﨑 素晴らしいですね。最近では経済界や企業も自然環境に配慮していますが、どこか小手先の話に感じるというか。実際に自分の体感覚で問題意識をもったり、自然を感じる機会が少ないなと感じています。

西廣 都市にいたら自然のことは経験しにくいですよね。人工的なものだけで、安全に幸せになれるとは思えない。

 自然が大事と言った瞬間に「あ、自然保護の人だね」と言われて、「コンクリート」と「自然」みたいな対立軸に人が置かれたり、そういうものに忸怩(じくじ)たる思いがありました。しかし、東日本大震災でこの境をなくす努力を急がないといけないと思ったんです。

 当時は東大で働いていましたが、生物学者として何ができるのかわからなくなり、がれき撤去のボランティアに参加しました。しかし、あれだけの災害が起きても、社会は自然の特性を活かしたり、自然の恵みを活かしたりする方向に舵をきることなく、力ずくで自然をねじふせようとする防潮堤工事が進んでいくことに衝撃を受けて。

 自然の恵みは多様なのに、それが共有されていない、されにくいという問題にも直面しました。現場でお話ししたときには、海辺で暮らしたいから、海が見えなくなる堤防は望んでいないとおっしゃっていた地元のおじさんが、防波堤工事を行う地区説明会の場では、地元を代表する声として「早く堤防を工事してもらわないと困る」と主張する姿を目にしました。

 これだけ人間と自然を対立させる見方が普通になってしまっているのかと思って、「人工」と「自然」、「開発」と「保護」を対立させない捉え方を共有することが、残された何十年かを使うのに一番やりたいことだと思いました。

 東日本大震災そのものというよりも、そこからの復興事業ですね。人と自然の歴史を背負って暮らす地元の人の気持ちが、反映されない工事が進んでいるように見えたことがいっぱいあったので。

 そこに打ち込みたいと思ったときに、一つの表現として「グリーンインフラ」という言い方や、「ネイチャーベースドソリューションズ(NbS)」、適応だったら「EbA」(※注3)など、自然に根差す、基盤にする、ベースの構造を壊さない社会にすることに力を入れ始めたんです。

宮﨑 折り合いのつけ方には私も悩んでいます。学生時代は、純粋に気候変動への危機感を持って行動してきましたが、現場で人の声を聞くと、一筋縄ではいかない難しさもあって。

 西廣さんの場合は生態系ですが、自分はそうした活動をするときの拠り所をどこにもつのかを考えていたりします。

西廣 私は生物多様性保全という立場で現場に関わることが多いですが、生物多様性が守られればなんでもいいとか、それが最優先されるべきだとは思っていないんです。

 先ほどの震災の話のように、海が見えること、海の恵みが得られることが大事だと本音では思っていても、それが表現できない時代や社会構造であることが問題なので、そこを変えたいと思っているのが正直なところです。私がいろいろな場所で発言したり書いたりしている内容も、型にはめて見ると、自然を守りたいという自然保護寄りの主張に見えていると思います。表現が下手ですし。

 でも本当は、自然を大事だと考える声がちゃんと同列に扱われる社会にしたいというのが本音です。社会で十分に情報が共有されて、公平な議論が行われた結果として、自然を守らないという選択にするなら、僕はそれもありかなと思います。

 これまでも長い歴史の中では色々失ったものもあり、自然を変えながら生きてきた側面があります。ただその変え方が今は、冷静で公平な変え方になっているのか疑問です。測りやすいものだけで測っていませんかと。

 水害リスクの方がウェルビーイングより測りやすいから、まずは水害対策ですとなりますが、本当かなと。測りやすさと大事さは一緒ではないですからね。測りにくいものを測りやすくしたり、そういう視点を提示するのが研究者であると思います。

宮﨑 見落としてはいけない視点ですね。生態系をいかした気候変動適応の具体的な事例も聞きたいのですが、そもそもどういうことをさしているのでしょうか?

西廣 たとえば災害リスクを考えたときに、これまでは川をまっすぐにして、また深くしてなるべく早く下流に流したり、高い堤防をつくって溢れないようにする「治水」を行っていました。

 しかし、堤防の高さを超えるような大雨が増えることを想定すると、ひたすら素早く下流に流すのではなく、雨が弱くなるまで上流にためる場所を増やしたり、雨水を地面に浸透させて地下水として流すなど、ゆっくり水を流すことも下流のリスクを下げることにつながると考えられるようになりました。

 まっすぐな川は中程度の雨であれば安全ですが、何もない平常時は、上流の水があっというまに下流に排水され、土地が乾いて生物が暮らせなくなるとか、水質が悪いまま下流に流れるなどデメリットがあります。逆にゆっくり流れると、水質浄化をしながら災害も防ぎ、さまざまな生物が暮らせる環境ができて、子どもたちが健康的な身体で生活できる機会も提供されます。

 今までの人工物に頼る防災では、日常と非日常のトレードオフがありましたが、自然の多機能性を活かせば、一石二鳥、三鳥になるような策がとれるわけです。そのためにはなんでもまっすぐに流すのではなく、途中にたくさん湿地を作ってゆっくり下流に流すような仕組みにするなど、そういうことが役に立ちます。

宮﨑 なるほど。面白いですね。

西廣 国交省の政策でも「流域治水」(※注4)などが提唱されて、川だけではなく流域全体で治水を考えるという理論が高まっていますが、主流化にはまだ課題がありますし、主流になったらなったできっと私はモヤモヤするとも思いますが(笑)

 人口減少社会では、自然の機能を積極的に活用しようという風潮は進むと思いますが、特定の機能だけを考えたら、自然は非効率なことも少なくありません。しかし多数の機能を同時に考えると、自然を活用する選択肢はコスパが良いというケースもまた少なくありません。

 多機能性を評価して計画することは手間がかかるのですが、結局のところ、私たちが拠って立っている地形、地質、生物といった自然のインフラをよく理解すれば、そう間違った判断にならないと思います。「エコシステムベース」とか「グリーンインフラ」というのはそういうことです。

 その場所の歴史を知らなくても生きてはいけますが、たとえば都心のタワーマンションで暮らしていても、そこがもともと河口湿地だったとか、農地だった時代があったという知識があると、そこに住むかどうかも含めて賢明な選択ができるのではないでしょうか。

※注3 EbAとは?
Ecosystem-based Adaptation あるいはEcosystem-based Approach for Climate Change Adaptationを略した言葉で、日本語では「生態系を活かした気候変動適応」と訳される。生物多様性条約では「気候変動による悪影響への対処に生物多様性と生態系サービスを組み込み、気候変動に適応すること」と定義される。森林、草原、湿地などの生態系がもつ、さまざまな機能やそこに存在する生物を持続的に活用し、気候変動によるリスクや損失を軽減するアプローチを指す。

※注4 フランスの水資源機構による「流域治水」のアニメーションを当研究所が翻訳した動画は、こちら


現場で心掛けていることは、話を聞くこと。地域の人に疑われるくらい熱心に草刈りをすることも


宮﨑 ありがとうございます。姉がタワーマンションに住んでいるので、非常に考えさせられました。

 最後に、地域などの現場で研究をされる際に意識されていることはありますか?

西廣 研究における分析というのは、基本的に世の中を切り取ることなので、必ずこぼれ落ちるものがあります。世の中にとって必要なところが残せればいいのだけど、そういった大事なところを切り捨てて、そうでもない部分が論文になることもある。

 だから、本質的に大事なところは何かを考えるため、自分は現場にいます。特定の生き物を守りたいとか、水質をよくしたいとかではなく、少しえらそうに言うと「人と自然の関係を新しいフェーズに導く」というのが最終目的なんです。

 そのために、科学の分野に切り分ける前の総合的な現状を受け止めるために、現場に居たいと思っています。そういう意味で気を付けているのは、話を聞くということでしょうか。

宮﨑 話を聞くのは大事ですね。

西廣 話を聞くときにも、どうしたって環境研究者と色眼鏡で見られることがあります。そういうときには、私はどちらかというとコミュニケーションが上手な方ではないので、熱心に草刈りをするとか、あの人はなんであんなに頑張っているのだろう、何かあるんじゃないかと地域の人が思うほど、身体を動かすようにしています(笑)。

 それをきっかけに始まるコミュニケーションは、本質的な議論に到達しやすい気がします。


フィールドワークの写真

植物調査中の西廣さん。


宮﨑 研究者として論文を書きながら、現場で草刈りもしているのはすごいです。

西廣 ただ、自分の論文をあまり書けていなくて、実は悩んでいます。例えばマネージャーとプレーヤーで考えると、草刈りみたいな現場の活動は、作業しながら現場の歴史と状況を総合的に考えて、研究プロジェクトの方向性を決め、同時に地域の人たちとコミュニケーションをとる時間なので、どちらかというとマネージャーの仕事なんです。

 ただ、朝の連続テレビ小説「らんまん」の植物学者である万太郎さんが熱心に植物採集をしている姿を見ると、本当はそうしたプレーヤーになりたかったんじゃないかと思って。このまま現場にいながらマネージャーとして年老いていくのか、研究をする力を失ってしまうのかと不安になります。

 とはいえ、マネージャーは責任が重いので、時間や労力を割かざるを得ませんね。幸い私がかかわるプロジェクトには色々な分野のプロが入ってくださっているので、課題として重要な部分をきちんと研究してくれたり、私とは違う目線で冷静な意見を聞かせてくれたりするのは、とてもありがたいと思っています。

宮﨑 私も地方にいながら、国立環境研究所で働いているので、がっつり地域に関われていないことに悩んでいたりもします。

西廣 それはそれで大事だと思います。月に何日かは虫の視点で見て、時には鳥の視点で見るみたいな。

 宮﨑さんのやり方であれば、一人で両方の視点を持てるかもしれないですよ。私は虫になってしまっている感じがするので、友達を連れてきて冷静さを保たないと絶対にダメ(笑)。自分で両方できたら強いですよね。

宮﨑 西廣さんはどこにお住まいなんですか?

西廣 千葉の我孫子です。

宮﨑 へ~そうなんですね。ぜひ訪問したいです。

西廣 歓迎しますよ。ぜひ田んぼに遊びにきてください。(終)


<対談を終えて>
今期の朝ドラはそんなに面白いのかと見逃したことを悔やみつつ。。とにかく熱く真剣に、時に少年のように目をきらきらさせて語る姿が印象的でした。

開発か保護か、人間か自然かといった二項対立に閉じるのではなく、矛盾を抱えながらも市井に生きる人々、そして生き物の声を拾い上げる姿勢は、研究者という肩書きを超えて人の心を動かすものだと感じました。

気候変動の緩和には興味が持てないけど、適応ならという正直なお話にも親近感がわきました。西廣さん、ありがとうございました!

[掲載日:2023年10月24日]
取材協力:国立環境研究所 気候変動適応センター 西廣淳副センター長
取材、構成、文:宮﨑紗矢香(対話オフィス)


【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー

Vol.01:江守正多さん(地球温暖化の専門家)

Vol.02:田崎智宏さん(資源循環・廃棄物管理の専門家)

Vol.03:森朋子さん(環境教育・廃棄物工学の専門家)

Vol.04:中村省吾さん(地域環境創生の専門家)

Vol.05:亀山康子さん(国際関係論の専門家)

Vol.06:番外編①「IPCC」を考察するセミナー報告記事

Vol.06:番外編②Kari De Pryckさん(科学技術社会論の専門家)


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