【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
-教えて中村さん!地域に密着した研究活動を行うのはなぜ?福島での実践と共に伺います
連載「ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー」。インタビュアーは“ミヤザキ”こと、宮﨑紗矢香です。
環境研究の研究者ってどんな人?どんな社会を望んで研究しているの?背景にある思いなどをミヤザキ目線で深堀りし、研究、人柄の両面から紹介します!
Vol.04:中村省吾さん(地域環境創生の専門家)
第4回のゲスト研究者、中村さん(右)と筆者。福島の研究室にて。
「Think Globally Act Locally」という言葉を聞いたことはありますか?
SDGsやカーボン・ニュートラルが目指される昨今、都心部だけでなく、農山村地域などローカルでの取り組みを推進していくことが循環型社会の大きな要になります。
今回は、福島県三春町にある当研究所の福島地域協働研究拠点(以下、福島拠点)にて、地域との対話を重視し、より現場に近い視点から災害環境研究に取り組む、中村さんにお話を伺います。
インタビュアー:宮﨑紗矢香
対話オフィス所属、コミュニケーター。大学時代、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのスピーチに心を動かされ、気候変動対策を求めるムーブメント、Fridays For Future(未来のための金曜日/以下、FFF)で活動。
沖縄から京都、福島へ―医学部を中退後、一時の季節工を経て大学へ戻り、研究者に
宮﨑 本日はよろしくお願いします。中村さんは福島拠点の地域環境創生研究室に所属され、復興まちづくり支援に携わっていると聞いています。まずはこれまでの経歴から聞かせてください。
中村 はい。私は沖縄県北部の名護市出身なのですが、高校までを沖縄で過ごしました。
我が家は父が少し変わっていて、広島大学で人文地理の博士課程在籍中にフィールドワークで沖縄まで来て、その縁で市役所に就職した人で。私が物心ついたときには、名護市の市史を編集する部署に所属していて、地域の話を聞いて歴史としてまとめるという仕事をやっていました。
地域との関わりを大事にしている父の姿を見て、いいなという気持ちが芽生え、小学生の頃は「将来の夢は公務員」だったんですが、高校生になり地域医療とか、僻地医療というキーワードを知ったのもあって、琉球大学の医学部医学科に入りました。1995年頃の話です。
宮﨑 私の姉が生まれた年ですね(笑)
中村 そうですか(笑)そこでしばらく医学を学んでいたのですが、いろいろあって中退して社会に出ることになり、いわゆる季節工として、滋賀県の工場でプリンターを作る仕事を数年やっていました。
ただ、先々のことを考えるともう一度大学で学び直したい気持ちが強くなり、半年くらい勉強をして神戸大学に3年次から編入学しました。神戸大学を選んだのは、当時の選択肢として唯一地域に関わることを学べそうに思えたからです。
学部は農学部で食料生産環境工学科という学科でしたが、中身は農業土木だったので講義の中身は物理と数学多めで、元医学部でも理系があまり得意じゃない自分としてはだいぶ苦しい思いをしました(笑)
研究室は農村計画の研究室を希望して無事配属され、地域と関わる調査研究に取り組むことができました。その後、当時の恩師が京都大学に移るタイミングと修士課程への進学が重なったこともあり、修士課程から京大に移り博士号取得までお世話になりました。
博士号を取得した後は、同じ研究室の先生が参画されていた環境研究総合推進費の特別研究員としてお声がけいただきました。ところが、1年目の後半に国立環境研究所(以下、国環研)の福島支部(当時、現福島地域協働研究拠点)の公募が出まして。
推進費のお手伝いを1年もできていない状況だったので当初は考えていなかったのですが、先生に背中を押していただいたこともあって応募しました。
採用当初は福島で入居する施設(環境創造センター)がまだできていなかったので、つくばから福島に通っていたのですが、3年目にやっと建物ができ、ようやく引っ越しすることができまして、今に至るという感じです。
2014年5月からになるので、国環研に来てから約9年、福島に来てから7年が経ちました。
宮﨑 なるほど。紆余曲折ありましたね。
中村 そうですね。紆余曲折はあったんですが、研究的な関心は一貫して地域にあったように思います。
たとえば卒業論文では、自治体が各集落を対象として事業を実施した時に、すごく頑張って成果が出る集落もあれば、ほどほどに頑張る集落もあって、この差は何によるものだろう?という疑問を元に研究を行いました。
当時、ソーシャル・キャピタルという概念が注目を集めており、日本語でいうと社会関係資本と呼ばれたりもするのですが、ザックリ言うと「信頼」「規範」「ネットワーク」といった特徴が高いほど社会的な効率性も高まるという考え方で、差が生じる原因は、各集落がもっているソーシャル・キャピタルの差にあるのではないかと仮説を立てて、アンケート調査を行いました。
分析の結果、集落レベルでのソーシャル・キャピタルに大きな差は見られなかったのですが、役員を務められているようなコアなメンバーに絞ってみると明確な違いがあることが分かりました。
福島に来てからも研究やプロジェクトを通じて地域の方々と関わることが多く、関心としてはやはり地域側にありますね。
大事なのは、地域から出された課題に対してこちらができることを伝える姿勢
宮﨑 地域との関わりを真摯に追い求めてきたように感じましたが、なぜそこまで地域に目がいくのでしょうか?
中村 そこはどう表現したらいいか微妙なところですが、元々あまり視野が広くないところがありまして(笑)そんなに手が広げられないというか、できるだけ自分の目の届く範囲をなんとかしたいというところがあったんですよね。
宮﨑 へ~そうなんですね。
中村 例えばローカルとグローバルの視点でいくと、相当ローカル寄りな面があって、当初はそこに閉じこもっていたところがあります。
でも国環研に来てからは、周囲の研究者の方々がグローバルな視点から取り組まれているのを拝見して、そちらにも目を向けることが必要だという気持ちにさせられました。
当たり前ですが、地域と世界はつながっていますからね。ただ地域の人は普段、世界を意識して生活しているわけではないので、我々がつなぐ役割をするのも大事だと思うようになりました。
福島でもその視点は活きていますね。とは言いつつも、地域のご年配の方に気候変動やらゼロカーボンやらを言っても、なかなか響かないですが...。
研究所のイベントで参加者と交流する中村さん
宮﨑 そうですよね。私も地方に移住したので、わかります(笑)
中村さんはローカルから始まって、国環研に入ってグローバルにも目がいったという話でしたが、私は逆でした。
グレタさんを知って気候変動に関心を持ちましたが、システムを変えると言っても規模が大きすぎて、どこかフィールドを持って活動していく方が歩みは遅くても着実だと思うようになり、群馬県に移住しました。
でもいざ移住してみると、理想と現実のギャップも多く。どうしたら地域の方と問題の共有ができるのか、悩みますね。
中村 福島のプロジェクトは復興に資するという明確なミッションがあったので、先方の困りごとをまず聞く。そして、その中から我々ができることをメニュー出しして研究につなげていく、という流れで進んでいったと思います。
基本は、こちらがやりたいことを押し付けるというよりは、向こうがやりたいことをこちらができることに引き寄せる、ということなんだと思います。
ゼロカーボンもそうで、福島県の三島町の話を例にあげると、森林が荒れていて何とかしたいという、町側の課題認識が先にあったんですね。これは三島町に限らない全国共通の課題なので、簡単に解決できる話ではないのですが、国環研からは気候変動対策やそれに向けた木質バイオマス利用について提案させていただいて、それだったらこういうやり方が~という流れで6年くらいやりとりをしています。
先方のニーズに対して、こちらができることの中であちらが喜ぶことは何か?をうまく押さえられるといいですよね。そして、それが向こうの力でできることというのも大事だと思います。
今ある課題に対してこういうことができますよ、これはこんなことにつながっているかもしれません、と積み上げていって、ビジョンとして位置づけていくイメージですかね。その上で、そのためのデータを集めてきて、それを積み上げて考えるというプロセスを経ていくのだと思います。
農村地域の価値が多様化する中、コミュニティ自体も変わっていかざるを得ない
宮﨑 以前、「community as client(コミュニティ アズ クライアント)」よりも「community as partner(コミュニティ アズ パートナー)」の視点を持ったほうがいいという話を聞いて。外側から入って何かをしてやろうというよりは、一緒に伴走してやる方がいいと。
移住前に聞いていたことですが、気づくとクライアントの思考になってしまっていて。自分自身がまだ町に溶け込むことができていなくて、時間がかかるものだなと感じています。
中村 「as partner」はいい言葉ですね。若い人が来るだけで地域側は嬉しいはずです。
あとは、無理に溶け込もうと思いすぎなくてもいいかもしれません。外からの視点でしかわからないこともたくさんありますからね。
今いる群馬は何か、ツテがあったのですか?
宮﨑 ツテはなかったんです。
中村 逆に面白いですね(笑)
宮﨑 初訪問でゲストハウスに泊まったときに、先輩移住者のオーナーの女性に環境問題に関心があることを伝えたら、関連する取り組みを行う町の人を何人か紹介してもらって。
自分の関心テーマと近い活動をしている先輩移住者とつながれたというのが大きくて、ここで何かできそうだと思いました。
中村 なるほど。
宮﨑 社会システム領域のインタビュー記事(※注1)を読んだのですが、中村さんが研究されてきたテーマに、農家を中心とした農村地域の課題があると知り、関心を持ちました。
移住先でも同じような課題に直面している気がします。詳しく聞かせてもらえますか?
中村 そうですね。ここ数十年で農村地域では「混住化」と言われる課題が出てきています。
昔は農村には農家しか住んでいませんでしたが、今は農業だけで食べている人たちと、副業を持ちながら農業も営んでいる人たち、更にはそもそも農家ではない人たち、いわゆる「専業農家」と「兼業農家」と「非農家」が混在しています。
農家自体が日本では減少する中、特に都市近郊の農村では集合住宅が建って一気に人が入ってきますが、彼らはたいてい農家ではなかったりしますので、地域の中で価値観が違う人が混ざり合って住むパターンが見られます。
農村地域の価値の多様化という話はよく言われますが、昔は農業のことを第一に置いていれば、たいてい話はうまく回っていたところが、そういうわけにもいかなくなると。
獣害対策も以前は農業を守るために農家によって取り組まれていましたが、最近はイノシシに噛まれたとか、住んでいる人に対して害を及ぼすというニュースもありますよね。どんどん課題が混ざっているというか。農村地域の課題に対して農家だけ取り組めばよいのかというとそれだけでは回らなくなっているので、農村に住んでいる人たちみんなで協力していきませんかと。
コミュニティが全てのベースにあるんですよね。それがしっかりしていないと、いざ対策しましょうと言っても誰も動いてくれない。とても難しい問題です。
宮﨑 農家さんは目の前の作業を一生懸命やられているのですが、それをやり続けているだけでも後継者は増えないので、次世代との価値観のすり合わせ、対話をする場をどうしたら持てるかが課題のように思います。
日本の未来を見据えたときに、お互いが共生していくにはどうすればいいのでしょうか?
中村 コミュニティ自体も変わっていかざるを得ないのは間違いないですね。
たとえば、福島県の浜通り地域は東日本大震災からの復興を目指して様々な取組が進められていますが、町外に避難されている方々で帰還の意向を持たれている割合はかなり低いのが現状です。
将来的には、元々の住民の方々に加えて、新たに移住される方々も交えた地域になっていくのかもしれませんが、そうすると新しいコミュニティが形成されていくことになります。
その部分は実際に住む人たちが自分たちはどうしたいかを考え、少しずつ作り上げていくしかないように思います。そこに対して、我々がお手伝いできる部分を見いだしたいですね。
宮﨑 そういう意味では、気候変動などのテーマは、問題の共有をするのであれば都心の方がやりやすいと思いました。トップダウンでやれるし。
中村 顔が見えないからできることはあると思います。三島町は人口1,400人なので町の人は、ほぼ全員が顔見知りなんですよ。
そういう中でやると、すぐに話が伝わったりするいい面もあれば、顔が見えすぎて話が広げづらい悩ましさもあって。気候変動もそういう類な気がしますね。
逆説的ですが、関係づくりを続けていくことで、信頼性を高めてもらえる可能性はありそうですよね。たとえば、よくわからない誰かが言っている気候変動ではなくて、国環研の人間が言っているなら聞いてやろうかと。
そこにつなげていければプラスですが、諸刃の剣ではあります。信頼を失ったら終わりなので(笑)
地域の方との丁寧な対話を通して、関係づくりを続けています
宮﨑 いや、ほんとに怖いですね。失敗できない。
中村 そこはお互いに人間なので、多少の失敗は許してもらえると思いますよ(笑)何もかもうまくいくことはないので。
※注1 社会システム領域のインタビュー記事はこちら。中村さんが専門とする農村計画学や、「混住化」に関する詳細も。
自然環境が失われていく将来、若者がちゃんと悲しめる場所をもちたい
宮﨑 最後に中村さんから私に聞きたいことなどあればお願いします。
中村 ビジョンというか、ここ10年くらいの方向性みたいなものはありますか?たとえば10年後も地方にいるのか、とか。
宮﨑 まだ移住して数か月ですが、若者のための学び舎をつくりたいという思いがあります。
北海道東川町に「人生の学校」と呼ばれる学び舎があり、一昨年そのプログラムに参加をしたのですが、学校教育ではない、生き方を学ぶ場所は豊かだなと思って。
自分も移住先で都会の若者を対象に、大自然の中で地域の人と関わりながら、自然とは何か?生きるとは何か?みたいなことを考える試みを行いました。初めての経験で失敗もたくさんしたのですが、改めて自分のやりたい方向性はこれだと思うことができました。
中村 へ~いいじゃないですか。
宮﨑 同時に、町のことをまだまだ知らないなとも思ったので、町のいいところを見つけることからだなと思いました。
中村 なるほど。面白そうですね。じゃあ30代前半くらいまでに、地方に学び舎ができているみたいな?
宮﨑 そうですね、気候変動に関心をもっていますが、私はCOPに行ってまで声をあげるほどではなくて。ティッピング・ポイントを超えてしまっても、この時代を生きていかないといけない。そのために、希望を失わずにいれる居場所というのは大事かなと。
ある意味の適応策かもしれないですが、気候変動がくる未来を予測して、セーフティネットを作っておきたいというか。
中村 それは非常に共感します。それと、気候変動をその人がもっている課題リストの何番目に位置づけてもらうかと考えたときに、今は本当に下の人が多くて、それをいきなり上に持ってくるのはたぶん無理なんですよね。
その順位をある程度まであげてもらうためにどうするか。やはり、ずっと考えるのはしんどいので。ふとしたときにちゃんと思い返してもらえるように、そういった教育や情報提供をしていくことは大事ですよね。
できれば、それが日常生活につながっているということを、自然に考えてもらえる形に落とし込めるといいですね。
宮﨑 そのあたりが北海道の学校はうまいんですよね。結局は内面の豊かさにつながってくるというか、気候変動に向き合い続けると疲れるので(笑)
中村 そうなんですよね。やっぱり実感しづらいじゃないですか。2050年ですか、はあ。みたいな話になりがちなので、もうちょっとつながっている感じがほしいですよね。
農家さんとかは敏感にならざるを得ないところがあると思いますが。
宮﨑 そうですね。あとは、自然環境が壊れていくことに対して、いい意味で心を痛められる存在でありたいというか。
知り合いの活動家が「ちゃんと悲しめる場所がない」という話をしていたんです。生物多様性が失われていくと、もう二度と会えない動植物も出てくる。そうしたものに対して、ちゃんと悲しんで、ちゃんとお別れをする時間と場所が今はないと。みんなが問題をわかりながら、葬っていくことはできないだろうかと。
中村 葬るって、言い得て妙な表現ですね。その辺も見据えながら、さっきの学校みたいなことを考えているんですね。
宮﨑 絶望はしたくないというか。地球がそういう状態になっても、自分が住んでいる世界に絶望はせずに生きていきたい。
中村 人間ってふてぶてしいので、そうそう絶望まではいかないと思いますが、何とかその手前で踏みとどまれるよう頑張りましょう。
宮﨑 時間は残されていないですね。本当にあっというまだと思います。改めて本日はありがとうございました!(終)
<対談を終えて>
現在進行形で地方生活を送る身としては、心当たりのある話ばかりで非常に考えさせられました。
特に印象的だったのは「コミュニティが全てのベースにある」という言葉です。価値観の違いも含めて、互いの信頼関係で成り立っている地方は、人とのつながりが全てだと実感します。
福島でのリアルな事例の数々は、中村さんがいかに地域の方と地道な対話を続けてきたのかを体現しているようでした。
適度な距離を保ちながらも、地域目線に立つことを忘れない。私も見習いたい姿勢です。改めて、中村さん、ありがとうございました!
[掲載日:2023年3月9日]
取材協力:国立環境研究所 福島地域協働研究拠点(地域環境創生研究室) 中村省吾主任研究員
取材、構成、文:宮﨑紗矢香(対話オフィス)
参考資料
●社会システム領域「“地域に貢献したい”:農村計画学のアプローチから」(vol.8-1 中村省吾 研究員)
https://www.nies.go.jp/social/navi/interview/interview08a_nakamura.html
【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
●Vol.02:田崎智宏さん(資源循環・廃棄物管理の専門家)