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【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
-教えて亀山さん!気候変動に関する国際交渉を志したのはなぜ?30年在籍した国環研での思い出と共に伺います


 連載「ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー」。インタビュアーは“ミヤザキ”こと、宮﨑紗矢香です。

 環境研究の研究者ってどんな人?どんな社会を望んで研究しているの?背景にある思いなどをミヤザキ目線で深堀りし、研究、人柄の両面から紹介します!


Vol.05:亀山康子さん(国際関係論の専門家)


亀山さんと宮﨑さんが二人で並んで写っている写真

第5回のゲスト研究者、亀山さん(右)と筆者。研究所にて。

 気候変動が深刻化する中、国際社会はどのように協調し、パリ協定の1.5度目標を達成できるのか。

 約200か国の政府代表や関係者が集まって合意を作り上げていく場であるCOP(国連気候変動枠組条約締約国会議)では、しばしばそのプロセスに注目が集まります。

 今回は、気候変動の国際交渉の研究をしてきた亀山さんにお話を伺いながら国際政治の醍醐味に迫るほか、後半では30年以上在籍した国立環境研究所での思い出エピソードなども伺いました。

インタビュアー:宮﨑紗矢香

対話オフィス所属、コミュニケーター。大学時代、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのスピーチに心を動かされ、気候変動対策を求めるムーブメント、Fridays For Future(未来のための金曜日/以下、FFF)で活動。


環境問題をどうにかしたくてしょうがなかった若き頃―東京海上から研究者の道へ


宮﨑 対面でお話しするのは初めてですよね。改めて、亀山さんが気候変動に関する国際交渉、国際政治に関する研究を志すようになった経緯について教えてください。

亀山 高校生のときに遡りますが、アフリカで飢餓が起きていて食糧不足に陥っている様子を写真で見たんですね。その時に、彼らを助けたい、国連で働きたいという思いをもちました。今思えば、若気の至りですが(笑)

 大学では国際関係論を学びました。4年生で進路を考えるとき、当時の私は自分に自信がなく英語もできなかったので、国連になんか行けないと思っていました。いわゆるバブルの時代でどこの企業も人を欲しがっていたので、内定をいただけた東京海上火災保険に行くことに決めました。

 就活後に卒業論文の執筆があったのですが、ちょうど地球温暖化問題が出てきた頃で、1988年にIPCCが設立され、科学者が温暖化の研究をしようと動き出していました。

 当時、今の国立環境研究所(以下、国環研)の前身である国立公害研究所(以下、国公研)から非常勤で教えに来ていた森田恒幸先生が、環境社会科学論のような講義をやっていたんですね。受講してみたらとても面白くて、卒論は絶対にこのテーマでやりたいと思いました。

 週末は国公研に通いながら教えてもらい、卒論を書き上げました。そのときに、今、私が所属している「社会システム領域」の方と仲良くなって、夜に飲みに連れていってもらううちに研究所のことが大好きになってしまって(笑)。東京海上の内定は出ているし、研究者は向いていないしと思って悩みながらも、とりあえずは企業で働いてみようと考え卒業しました。

 東京海上では債券ディーリングを担当して楽しいものでしたが、やはり環境問題が捨てきれなかったんです。環境庁(環境省の前身)で働きたいと考え、会社には内緒で国家公務員試験を受けてみたら、筆記はいい順位だったのですが面接で落ちてしまい。指導教官の森田先生に報告したところ「研究者にならないか?」と言われました。

 当時、国環研は政府の機関(環境庁の一部)だったので、幸いにも筆記試験が合格していたため、学部卒でありながら採用してもらえたんです。それで東京海上は2年で辞めさせてもらい、国環研に入りました。裏口入学のような、今ではありえないケースですが(笑)

 そんな経緯もあって、研究者になりたくて今があるわけではなく、環境問題をどうにかしたくてしょうがなかったんですよね。だから、研究で何かを明らかにすること自体に自分の強い関心があるというより、明らかにした先に、世の中を動かすところまでいかないと目的を達成したことにはならないと思ってやってきました。

宮﨑 環境問題をどうにかしたい!という熱い思いが伝わってきました。高校生のときに見た写真のインパクトは相当、大きかったのでしょうか?

亀山 当時は、NHKのニュースや新聞記事でも半年ほど継続的に取り上げられていたので、日本のような先進国で暮らしながら飢餓があるという現実を知ると、どうにかしたいと感じました。

宮﨑 江守さんも、高校生のときにチェルノブイリ原発事故のニュースを見て環境問題に関心をもったと言っていました。若いころに触れた問題の原体験から、紆余曲折を経て今につながっているというのが面白いですね。

 バブル期で、温暖化問題は今ほどフィーチャーされていなかったというのは想像がつかないのですが、本当にこの数十年で気候変動問題が注目されてきたのだなと実感します。

亀山 そうですよね。30年前の話ですからね。

宮﨑 亀山さんは、その当時からずっと国環研にいるのですよね?

亀山 はい。国環研にきてからは、自分としては踏ん切りがついたというか、もう後がないという気持ちでした。

 東京海上では2年間、一生懸命に私を育てようとしてくれて。そんな場所を辞めさせてもらった以上、ここで頑張らないと色んな人に顔向けできないと思いました。はじめの5年間は必死でしたね。


気候変動が進む中、国と国の間で交渉をするやり方に限界が現れ始めている


宮﨑 それから数十年の月日を経て今に至ると思いますが、亀山さんが研究対象としている国際交渉や国際政治については、研究を始めてから現在まで、どのように問いを深めてきたのでしょうか?

亀山 国際という言葉は「国の際」と書きますよね。英語でinternationalと言いますが、国というのがあくまで主体なわけです。

 たとえば、1980~90年代に地球環境問題が出てきたときは、国と国との間で話し合って、どういう条約を結んで、それぞれの国が国際的に決めたことをどう実施するのかをみていました。

 まず国内で法律を作るなどして浸透させていき、しばらく様子を見て、問題が解決しない場合は再び国際社会に戻り、もう一度、交渉をして条約を作って、またそれを各国が国内に持ち帰って法律を作る、というサイクルをまわすことが前提の学問で、実際の社会もそのように動いていたんです。

 しかし21世紀に入ると、それではうまくいかないことがわかってきます。200近くある国がみんなで話し合っても、効果的な合意はそもそも得られるわけがない。

 そういう状態が長く続いていく間に、国と国との間で交渉をするというやり方自体に限界があるのではないかと人々は気付いていきます。傍らでは気候変動の影響がどんどん出てきて、異常気象も頻発し、この状態をどうにかしないといけないと思う人が増えてきてようやく、全く違うアプローチが現れ始めました。


COP22に参加した際の亀山さんの写真

モロッコのマラケシュで、2016年に開催された国連気候変動枠組条約第22回締約国会議(COP22)のサイドイベントにて。


 それが、2015年のパリ協定の頃からですね。国際的にどんな条約が結ばれていようがいまいが、企業が再生可能エネルギー関連の技術でビジネスをおこしたり、脱炭素に向かうことで経済的に儲かる仕組みが自発的に動いていきます。

 それを後押ししているのは、グレタさんのような若者であったり、市民社会や消費者です。

 そうなってくると、国際ということの意味があまりなくなっていくんですね。国の中の企業や個人が勝手に動いて、それぞれがネットワークを構築している間に、国際社会が変わっていくので。

 そうすると、国際関係論という学問自体にも問いが投げかけられます。国というものを単位にして考えていた論文そのものが古いものになっていき、新しい考え方、定義、アプローチ、手法を国際関係論という学問自体が必要とするようになります。それが環境問題をやっている人間にはすごく面白くて。

宮﨑 なるほど。

亀山 環境、人権、難民を専門としている人はみんなそうですが、変わった現実を見て、それを論文として書くことによって学問自体が変わっていく。社会科学の面白いところは、私たちの対象自体がどんどん変わっていくから、それにあわせて方法論も変わっていかないといけないことですよね。

 その背景には、インターネットなどの情報社会があります。これまでは条約交渉というと、政府の人しか交渉中のテキストを手にできなかったところが、今では世界中誰でも、家から見ることができるわけですから、それだけでも全然違いますよね。

宮﨑 社会が変わるのと同時に、私たちも変わっていくという話は私もよく考えます。亀山さん自身が30年の歳月をかけて実績を築いているように、時間をかけないと変わっていけないという側面がある一方で、気候変動は待ってくれない、刻々と変わっていってしまう。

 このジレンマをずっと抱えているのですが、じっくり時間をかけているほどの猶予も過去に比べたらない中で、諦めと、変えられるという希望の狭間にいるなと思っています。亀山さんはどう考えますか?

亀山 人間ってめんどくさがりだから、かなり切羽詰まらないと動かないんですよね。

 地球環境問題が大変な問題だと、誰もが30年前から言っているし、喫緊の課題という言葉も使われていたけれど、動き出したのは5年前からだと思います。なぜ5年前に動き出したかというと、本当に人々が大変だと思ったからですよね。

 危機感をもって本気でみんなが走り始めるためには、そういう情報の出し方と受け止め方が必要なのだけれど、じゃあ2030年になってやっぱり1.5度はだめでしたねとなったときに、100%だめになっているかというとそうではないというか、そうあってほしいと思っていて。

 そのときはそのときで、私たちがとり得るベストの行動をとり続けていくのだと思います。焦ることはみなさんが行動するために必要だけれども、焦りから失望とか、人生終わりだとか、そこまで行く必要もないのかなと。

 私たちは、いつでも何らかの悩みや課題を抱えながら毎日を送っていて、日々、与えられたオプションの中から最善の選択肢を選び続けて生きるわけじゃないですか。だから2030年もその延長戦なのではないかなと。

宮﨑 なるほど。余談ですが、現代仏教僧の方の話で「1.5度や2度を超えたところでその世界がディストピアだと決めつけるのは、現代を生きている人間の傲慢さなのではないか」というのを聞いたことがあって、たとえ1.5度を超えたとしても、その世界でその世界なりに生きている人たちがいるのではないか、と。

 すごく新しい視点でした。国際政治を研究してきた亀山さんが、そういうことを考えていることに重みを感じましたね。

亀山 私の子どもは大学2年生と、高校2年生なので、自分の子どもの人生を考えても希望はもちたいですよね。

 もしかしたら今より台風は激甚化しているかもしれないし、食料価格は高騰しているかもしれないけど、それなりに人間らしい人生を送ってほしいと思うので。その意味でも、私自身が希望を捨てたくないなと。

宮﨑 子どもがいる親ならではですね。環境問題に関心があったとしても、その切り口は人それぞれだと思いますが、高校生のときから国連に行きたいと言われていたのを考えると、もともと俯瞰的な視点をもっていたのでしょうか?

亀山 世の中の雰囲気ではないですかね。今の若い人たちは、どちらかというと内向きだと感じます。

 当時は日本が高度経済成長期で、上向いていく雰囲気が全体に漂っていました。ネットがない世界だったからこそ、訳も分からず国連に憧れられたというか。情報がありすぎても、現実を見すぎてしまうのかもしれないですね。


COP22に参加した際の亀山さんの写真

2019年に元アメリカ副大統領アル・ゴア氏が来日し、気候変動問題について学ぶプログラムを開催したときの様子(筆者撮影)。世界中のあらゆる人が行動を起こすことを目指し、世界各地で展開されている。


気候変動で立ち上がるより、黙って言われた通りにやる子の方が評価される日本


宮﨑 たしかにその側面はあると思います。亀山さんは、憧れるだけではなく実際にその目標に近づけているのがすごいですよね。

 メディアにもわかりやすい説明をしているという評判をよく聞きますが、日頃から意識されていることなどはあるのでしょうか?

亀山 自分のことを頭があまりよくないと思っているので、私自身が理解するためには一つ一つ、順序立てて考えていかないと納得できないというのがあって。その順番のままに話していると、わかりやすいと言っていただけるのかなと。

 下手に頭がいい人だと、脈絡なく話が飛んでしまうのかもしれないです(笑)

宮﨑 なるほど。若者についても聞きたいのですが、日本では行動する若者が少ない中で、Fridays For Futureをはじめとする若者は様々なアプローチで気候変動について伝えようとしています。

亀山 今の若者の皆さんはすごく頑張っているので、すばらしいなと思います。日本にいる若い人のマジョリティを変えるためには、FFFのような若者ではなく、別のところに原因がある気がしています。

 たとえば、小学校のような教育現場を見ていると、先生に言われた通りにやった子、ルールを守った子、テストで100点をとった子が褒められますよね。それとは対照的に、欧米の小学校などでは自分でアイデアを出した子が褒められます。学校のルールを守るのは当たり前だから、脱線した子がいても他の子に迷惑さえかけていなければ、それほど怒られないですよね。ルールを守っていないことの理由がちゃんと説明できれば、むしろ理解してもらえたりとか。

 要は小学校の段階で、どういうことをすれば先生に褒められるという基準が海外とは全く違うことが、今の日本の若者をつくっている気がします。だから高校生でも、気候変動で立ち上がる子よりは、黙って言われた通りにやって、いい点数をとった子の方が高く評価される。ちょっと発言すると「意識高い」と言われるから黙っていたり。そういう雰囲気を作り出しているのではないかと思いますね。

宮﨑 私も日本の教育に問題意識があるので、共感します。「正しく答えられる」人より、「正しく問える」能力が日本では持ちづらいなと。

 同世代を見ていても、とても礼儀正しく大人しいのですが、迷惑をかけず、相手の顔色を伺いすぎているように感じたり。社会構造がそうさせているところもあるような気もしますが、学校や先生側も変わらないと学生側も変われないのかなと。

亀山 コロナのマスク問題もそうだと思いますが、言われたことに逆らわず、みんな一斉にやるような社会の在り方を変えようとすることも大切ですが、気候変動に関しては時間もないので、教育問題へアプローチしつつも一方では、みんなが言うことを聞いてくれるような社会にとって、実施しやすい温暖化対策をやってしまった方が早いのかなと。

 決められたルールを真面目に守る国民でもあるので、その特性を利用した方が、排出量を減らすという意味では早いのかもしれません。


スポーツ同好会にビアパーティ。誰とでも顔見知りのような雰囲気のある国環研


宮﨑 そのあたりは引き続き、考えていきたいなと思います。

 話は変わりますが、亀山さんは今年度をもって国環研を退職し、東京大学に行かれると聞いています。長く在籍されていた国環研で、印象に残っているエピソードなどがあれば教えていただきたいです。

亀山 走馬灯のように頭の中がぐるぐるしますね(笑)。やっぱり国環研は楽しいところなんですよね。

 大学は学部ごとに縦割りで、自分と同じ専門の人としか話さない組織になっているのですが、国環研はサイズ的にもそれほど大きくなく、入った当初から他の分野の領域の人たちと知り合えました。スポーツ系の同好会や、あと夏にはビアパーティがあって、中庭でみんなでビールを飲んだり。

 誰とでも顔見知りのような雰囲気があって、温暖化のことをやるとなれば、政策をやっている研究者だけでなく、江守さんのように大気モデルを知っている方と茶のみ話で気軽に話せるという環境は他にはないと思います。

 研究をやる上でも、この雰囲気は大切だと思っていて、これからもこういう雰囲気を知りたいと思っている若い方々に入ってきてもらいたいです。

宮﨑 研究所への見え方が変わりますね。私は大学を卒業して就職したのがコロナ元年の2020年で、はじめからテレワークだったので、出勤をしてみんなで交流するという以前の文化を知らないために、そこまで違うのかと思いました。

 でも、いいことが知れたなと思います。自分からも研究者の皆さんへどんどんアプローチしていきたいですね。

亀山 向こうはウェルカムだと思いますよ。

宮﨑 ありがとうございます。アタックしてみます(笑)

 最後に、亀山さんから私に聞きたいことなどあればお願いします。

亀山 宮﨑さんは国環研にいますが、今後はどういうキャリアプランがあるのですか?研究者になりたいとか?

宮﨑 関心はありますが、地方に移住したのもあるので当面は難しいのかなと考えています。ただ、去年の夏にイギリスのシューマッハカレッジという大学院大学に一週間行ったのですが、そこでの体験がまさに「目からうろこ」で。

 頭で考えるだけではなく、手を動かして学ぶという場所で、経済や科学、心理学などのアカデミックな内容を、森の中で焚火を囲んで聞いたり、地球46億年の歴史を4.6kmで歩いたり、エコロジーを体感する学びなどとても刺激的でした。

 そうした場づくりを、移住先でやりたいなと考えていたりします。

亀山 なるほど、素敵ですね。そうしたアクティビティと、国環研で培っているアカデミックな部分をうまく繋げていけるといいですね。

宮﨑 ありがとうございます。最後と言いましたが、もう一つだけ聞かせてください。亀山さんは今後、どのような研究活動を展開されるのでしょうか?

亀山 そうですね。大学の業務に追われていますが、一つは、脱炭素に向けた道筋をテーマにした研究プロジェクトを推進しています。

 政府がアンモニアや水素などの技術に注目していますが、そこには技術を扱う人が関与していかないといけないと思っています。どのようにそうしたものを受け入れる市民社会にしていくか、という点を人々の意識や若い人の行動などに着目して研究していくことを考えています。

 また、来年度からは、少子化で学生が減少していく中で、社会人を対象に「サステナブル・ファイナンス・スクール」を立ち上げようとしています。金融業界の方々を中心に、どうすれば脱炭素を推進する企業にお金がまわる仕組みにできるかを検討していきます。

 江守さんほか、国環研の研究者にも講師として来ていただく予定です。東京大学と国環研をつなげていけるように画策しています(笑)。サステナブル・ファイナンスは専門ではないですが、これから力を入れて取り組まなければいけない研究分野だと思っています。

宮﨑 それは楽しみですね。ありがとうございます。今後の亀山さんのご活動も期待しております!(終)


<対談を終えて>
終始、語り口が穏やかで、こちらのどんな直球クエスチョンにも丁寧に応答してくれる姿が印象的でした。その一方で、環境問題が捨てきれなかった、どうにかしたくてしょうがなかったと語る場面では、言葉にたしかな力強さがあり、若いころから秘めたる青い炎が伝わってきました。

最初で最後の?対面でのインタビュー、今後の自分の人生にも示唆をいただきました。国環研での楽しい思い出、私もつくっていきたいです!

[掲載日:2023年3月23日]
取材協力:国立環境研究所 社会システム領域 亀山康子上級主席研究員
取材、構成、文:宮﨑紗矢香(対話オフィス)


【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー

Vol.01:江守正多さん(地球温暖化の専門家)

Vol.02:田崎智宏さん(資源循環・廃棄物管理の専門家)

Vol.03:森朋子さん(環境教育・廃棄物工学の専門家)

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