【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
-教えて森さん!“サステナビリティ・トランジション”が進む社会で、求められる教育とは?
新連載「ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー」。インタビュアーは“ミヤザキ”こと、宮﨑紗矢香です。
環境研究の研究者ってどんな人?どんな社会を望んで研究しているの?背景にある思いなどをミヤザキ目線で深堀りし、研究、人柄の両面から紹介します!
Vol.03:森朋子さん(環境教育・廃棄物工学の専門家)
第3回のゲスト研究者は、森さん(左)。リモート取材時の様子。
気候変動や生物多様性の損失など環境問題が進行し、持続可能な社会に向けて大転換が求められる昨今。そのような変革を導く人材をどう育むかは、大きな課題の一つになりつつあります。
今回は、持続可能な開発のための教育(ESD)や環境教育が専門で、人と協働しながら社会に参画する環境行動である「シビック・アクション」について研究を進める、森さんにお話を伺います。
個人での環境配慮行動だけでなく、他者と協働し、社会に働きかけることの重要性とは?子育てとの両立に奮闘しながらキャリアを築いてきたエピソードなど、根掘り葉掘り聞いていきます!
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Vol.01:江守正多さん(地球温暖化の専門家)
インタビュアー:宮﨑紗矢香
対話オフィス所属、コミュニケーター。大学時代、環境活動家グレタ・トゥーンベリさんのスピーチに心を動かされ、気候変動対策を求めるムーブメント、Fridays For Future(未来のための金曜日/以下、FFF)で活動。
一生、家の中の埃を気にして生きていくなんて嫌!子供がいても働き続ける、女性研究者へ
宮﨑 本日はよろしくお願いします。森さんは対話オフィスの客員研究員でもあり、現在は国士舘大学の教員をされているんですよね。
まずは、これまでの経歴や、研究者を志したきっかけについて聞かせてもらえますか?
森 はい。研究者になったのは5年前で、はじめはシンクタンクの研究員として働いていました。
同じ職場で結婚をした夫が、アメリカの大学院でMBA(経営学修士)を取りたいということで、復職する確約をもらった上で会社を一旦辞め、留学についていきました。アメリカにいた2年間のうち、1年は妊娠期間中で、残りは子育てをしていました。
日本に帰ってくるときに2人目を妊娠したので、保育園の空きを見つけて、いよいよ復職するかと思ったら、会社の上層部からNOが出てしまい、急遽、再就職ができないことになったんです。
そのため、日本に帰ってからしばらくは専業主婦でした。子供が欲しくて仕方なかったので幸せでしたが、仕事をしていない自分が許せなくて。
ある日、子供の面倒を見ながら、家の隅に落ちている埃を見て、「あ、部屋がまた汚れてる」と思ったときに、私は一生、家の中の埃を気にして生きていくんだと考えたら、すごいつらくなって(笑)
宮﨑 え~!
森 なんのために生まれてきたんだろう、と。それで、夫に働きたいと相談したんです。
ちょうどそのタイミングで、国立環境研究所(以下、国環研)の、資源循環研究センター(現:資源循環領域)の大迫さん(現:領域長)からお声掛けをいただき、福島の放射性物質を含んだ廃棄物の問題で忙しい時期だったので、在宅でもいいから仕事を手伝ってほしいと言われたんです。
シンクタンクの研究員時代にご一緒していたこともあって、そのときの働きぶりを覚えてくださったお陰で仕事を始められました。
一方で、アカデミックでも通用する研究者になりたいという気持ちもあり、客員研究員として環境教育をテーマにしたプロジェクトに入って、国環研の若手メンバーと一緒に研究をやり始めたら、すごい面白くて。
シンクタンクの分野に戻る道もありましたが、アカデミック分野の研究職に就きたかったので、子供を保育園に入れたタイミングで国環研の先生が指導教員になってくれる大学院のゼミに入り、4年かけて博士号をとりました。それが2018年ですね。
宮﨑 そうなんですね。
森 はい。博士号をとってから研究者の道がスタートというカウントだと、まだ4~5年目なので、研究者のキャリアは浅いですね。
宮﨑 はじめて知りました。
森 もともと大学院で「廃棄物工学」という廃棄物の研究で修士号をとっていたので、就職先のシンクタンクでも、廃棄物やリサイクルの制度設計をお手伝いする仕事をやっていました。
国環研の客員研究員になってからは、子供も大きくなり、在宅で仕事をするのも限界がきたので、国環研の紹介で公益財団法人廃棄物・3R研究財団に就職しました。
給料を貰って働きながら、大学に行って環境教育の研究をし、子供の保育もしながら三足の草鞋でまわしていたので、忙しすぎて当時の記憶がないです(笑)
京都大学名誉教授で、環境漫画家の高月紘さんによる作画。森さんが京都大学大学院生だった当時、研究室の指導教官でもあったそう。
宮﨑 いや~すごいです!怒涛の時代の流れですね(笑)
はじめは廃棄物工学やリサイクルで修士号をとられていたと聞きましたが、研究テーマを選んだきっかけはありますか?
森 大学受験のときは獣医を目指していたくらい、もともとは動物が好きだったんです。生き物が好きだから生き物に関わる獣医を、と考えていましたが、浪人までしても合格できず、同志社大学の工業化学の学科に行きました。
生き物を取り巻く環境を守るのも大事な仕事だと思い、研究室を選ぶときに学科の先生に、環境問題×化学の学問がしたいと相談したら「そんなところには行くんじゃない」みたいな、ショックな一言をもらい(笑)。当時は90年代後半くらいですが、化学の権威みたいな先生から、あんなものは学問じゃないんだと言われてしまいました。
そんな時に、たまたま地学をやっている先生が同志社大学に一人いらっしゃったんですが、滋賀県の琵琶湖近くにある産業廃棄物の処分場で、硫化水素ガスが噴出して地元住民と産廃業者が裁判でもめている案件があったんです。
そこの地下水汚染の状況を調査する研究に誘われて、思っていたこととは違いましたが、環境問題ではあるなと思い、そこの研究室に入りました。
廃棄物の現場では地下水を調査している横で「オラァ、何みとんじゃあ!」とか言って、業者のおっちゃんと住民が喧嘩を始めたりすることもあって、これはディープで面白いなと。
環境問題という広いテーマの中から廃棄物問題という、すごく生々しいというか、どす黒いところに惹かれて(笑)、廃棄物の研究をもっとしたいと思ったんです。
悲惨な映像ばかり見せるわりに、解決策を教えてくれない環境問題が不快だった
宮﨑 なるほど、面白いですね。
前回は田崎さんにインタビューしましたが、大学の時にエイズの活動に関わっていたり、自分の家の近くに親と一緒に生活できない子どもたちがいたという話をしていて、「本質的に声を出せない弱者への視点を持つのが環境研究の基本であり、自分の根っこ」だと言っていました。
森さんは生き物が好きという点で、そのような感覚はありますか?
森 私は社会課題に目覚めたのは大人になってからなので、それまでは好奇心で、自分の欲求にしたがって進路を選んでいました。
生き物が好きなのは両親の影響で、小さいときから夏にキャンプやアウトドアに連れて行ってくれたりしたので、生き物全般が大好きでした。ただ、環境問題を勉強するのがすごく苦痛だったんですよね。
当時は、温暖化はあまりフィーチャーされていなかったですが、悲惨な映像ばかり見せられて、オゾンホールが空いて皮膚病になるとか、自分の好きな生き物がどんどん死んでいくとか。
ネガティブな情報ばかり見せるわりには、どうすればいいのかを教えてくれなかったので、フラストレーションが溜まるだけのものが環境問題だと思っていて。
だからしばらくは遠ざけていたんですが、大学4年間で自分の進路を考えたときに、あの不快だった環境問題を沸々と思い出したんです(笑)
環境問題を解決することは動物や生き物を守ることだよなと思って、すごく天邪鬼ですけど逆に興味がわいたというか。そこがスタートですかね。
宮﨑 廃棄物の研究から子育てなどを経て、国環研に関わり始め、教育がテーマの研究に入っていくというお話がありましたが、ここまでのお話を聞いていると、教育へのシフトが唐突に感じられるのですが、何かきっかけはありましたか?
森 実は、実家が地方の学習塾なんですよ。中学3年生まで先生は父みたいな(笑)、家族の生業が教育系だったというのがあります。
あと、大学院の修士で所属していた研究室が、教育とか、今でいう社会的なアクションを起こすのを楽しむゼミだったんです。
それで、シンクタンク時代も教育に関する仕事をしたくて、環境省の環境教育推進室に突撃して意見交換をさせてもらったり、環境教育に関するコンペに応募したりしていたんですが、4年目でコンペが通ったときに夫のアメリカ転勤があって、途中から戦線を離れてしまいました。
子育てをして研究の場に戻ってくるタイミングで、教育というより、リスクコミュニケーション寄りの、福島での仕事がスタートになり、改めて科学のエビデンスを作る仕事よりも、それをどう人々が受け止めるのかとか、受け止めるための素養に迫りたいと思いました。
専門家がわかりやすい言葉で一方的に説明しても、受け止める側にそれを学ぼうとする意識がなかったり、感情に流されて冷静に考えることが難しい人たちがいることを、放射性物質を含む廃棄物を処理する過程で見たので。
これは教育が根本にあるなと感じ、自分もお母さんになっていたこともあり、その立場でも一から研究してみたいなと。
日本人は、簡単でもインパクトがないアクションしか行動の選択肢に入っていない人が多い
宮﨑 紆余曲折というか、これまでの歩みがつながっているんですね。
ここからは私自身も興味がある、森さんご専門のシビック・アクションや環境教育について、現時点での研究成果をお聞きしたいです。
森 とにかく自分が受けた環境教育が嫌いだったので、「危機感ばかり煽って、解決策は電気消す」では終わらない、そこに食い込むような研究がしたいと思っていました。
一人でできる環境配慮行動を促進するような、従来の視点での環境教育ではなくて、人と協働したり、社会に働きかけるような、いわゆる「シビック・アクション」を促進する教育が足りないのではないか、という問題意識からスタートしています。
ただ、教育学の専門家ではないので、「どう教えたらいいか」から入るのではなく、どういう行動を最終的にしてほしいのか、どんな引き金が引かれれば人は社会に参画する行動をやろうと思えるのかという、行動心理学的かつ工学的なアプローチで研究しています。
これまでの研究で見えてきたことは、日本人は「環境問題に対して何かいいことをしよう」という点は意識が高い一方で、そのための解決策が、日常生活で個人が明日からできるアクションしか認知されていないという点です。
そういう教育しか受けていないので当然ではあるのですが、蛇口をひねって水をぽたぽた垂らしてはならないとか、簡単だけどインパクトがないアクションしか行動の選択肢に入っていない人が多く、そういう人ほど人と協働する、社会に参画するような行動が頭に浮かんでいなかったりします。
従来の環境配慮行動の行動モデルは、「地球環境が危ない状況にあり、それはあなたの肩にかかっている」ということが、心理的に煽られると行動に結びつくというのが一般的でしたが、人と協働して社会に働きかけるアクションの研究をしてみると、いくらリスクを煽ったところで多様なアクションの選択肢が頭にない人や、アクションを自分がやるんだと認識していない人はデモに行こうとは思わないし、意見書を出そうとは思わないんですよね。
それどころか「私は関係ない」とか、「そんなことをやっても無駄、世の中変わらない」「周りから浮いてしまう」という心理状況を抱く人が多かったりします。
2022年5月に開催した『サステナビリティトランジションと人づくり』出版記念ウェビナーのアーカイブ動画より。
あとは、小さなコミュニティの中でも、自分たちの力でルールを変えてみたことがある人とない人では、協働的なアクションに対する前向き度が全然違う。だから、若いうちに経験をしておくのはすごく大事だということが、研究で見えてきたところです。
さらに、実際にアクションをしている若者に30人ほどインタビューをしてみてわかったことは、親や家庭が特殊なのかというとそうでもなく、学校の授業できっかけをもらったり、学校外のイベントに参加したりと、広い意味での教育の場がトリガーになっていたことでした。
これまでアクションを起こしてきている人たちも特異なルートを辿っていないことが明らかになったので、学校で取り組むことの意義や、期待できる効果は思っている以上に大きいんじゃないかと感じています。
宮﨑 自分の問題関心と重なっているところが多くてびっくりしています。私も母校の大学の授業がきっかけでSDGsやESDを知り、その過程で学校外のコミュニティを求めてFFFにたどり着きました。
教育への不満や疑問みたいなものは、FFFの活動を経て余計に思うようになってきたので、本当におっしゃる通りだと思います。
大学生に「これから気候変動で私たちの世代がやばいんだよ」と言っても、「宮﨑さんは勇気があってすごいですね」とか「私にはできない」という感想が並ぶことがとても多いです。
森 いま取り組んでいる研究では、宮﨑さんのような前を走ってくれるリーダーをたくさん輩出するというよりは、先頭に立たなくていいからそれ以外の行動を促進する、活動している人のアクションを盛り上げたり応援したりできる人をいかに育てるか、という方向にシフトしています。
意味のある活動を感度高く見つけられるかどうか。そして、自分の心に照らし合わせてその活動がいいと思ったら、それを表現する術をたくさんの人が身につけるべきで、寄付やネット上での拡散だったり、イベントがあれば駆け付けるとか、そういう多様なサポートアクションができる層を厚くしたいんですよね。
生きていれば、社会に関われないライフステージも出てくるので、そういうときでも社会課題といかに付き合っていくかが大切かなと。
これだけはやろうというアクションをその時々の自分の状況にあわせて選んで、小さなアクションでも前に立ってくれている人を後押しするとか、ライフステージが落ち着いたら自分が前に立ってみようかとか、現実的にできる範囲のアクションを選ぶ力に興味があります。
宮﨑 相対的にみると私はイノベーターとかリーダータイプに見えるのかもしれないですが、自分もはじめは意味のある活動を見つけて応援する側から始まっています。
大学生に話すときも、音楽×気候変動、ファッション×気候変動とか、色々な入口からアプローチできることを紹介して自分がいいと思うアクションを見つけてみて、と話していますね。
森 とんがったリーダーをいっぱい育てたいので、このプログラムをやりますというよりは、多様なサポーターになれる人を幅広く育てたい、アクションの選択肢を広げさせたい、みたいな言い方をした方が、現場の先生からは賛同されやすいですね(笑)
宮﨑 なるほど、勉強になります。
少し話は変わるかもしれませんが、社会問題に対して活動するアクティビストの多くが、孤独やメンタルヘルスの問題を抱えているという話があります。森さんは、この点に関して感じることはありますか?
森 活動する若者へのインタビューでも感じましたが、アクションをすればするほど孤独になっていくのは確かなようで、見ていてしんどそうだなと。活動自体が持続可能じゃなさそうな人や場面にも多く出会ってきました。
それをどう解決できるかは見えていないですが、別の研究で、仕事をやめて環境分野で起業した人、非営利団体の活動に生活の軸足をうつした人、都会から離れて農的な暮らしをする移住という選択をとった人の3種を対象に、アンケート調査をしたことがあります。
起業した人や移住した人よりも、非営利団体の活動に軸足をうつした人たちは、相対的に悩みの度合いが深く、身近な人に理解を得られなかった、家族とうまくいかなかった、生活基盤が安定しなかったという声が多かったんです。
一方で、今の生活にどれくらい満足しているかを聞くと、誰よりも高いのは非営利団体の人たちなんですよね。
宮﨑 へ~。
森 一番苦労しているんだけど、今の自分に対する満足度、達成感が一番高いのも彼らという結果があって、そこはデータで見る必要があるなと思います。
あと、アンケートでは何を支えに壁を乗り越えたのかも尋ねたのですが、やはり「人」なんですよね。サポートしてくれる人であったり、ロールモデルといわれるような先駆者であったり、同じ関心をもつ人たちのネットワークなど、圧倒的に人とのつながりや場に助けられているという回答が多かったです。
一つの安らぐ場所という意味では、人やネットワークが大事というのは間違いなさそうなので、そういう場を意識的につくる必要はありそうです。
そういう仕事を誰がやるのかという問題はありますが、東京だけにあってもダメで、各地方にないといけないですよね。ESDの活動拠点は全国にありますが、そういう組織とのつながりにフォーカスしてもいいのかなと思います。
宮﨑 私事ですが、7月上旬にイギリスのシューマッハー・カレッジという大学院大学に行ってきました。『スモールイズビューティフル』のE・Fシューマッハーの名を冠した大学なのですが、世界中から活動家が集まっていて、お互いのケアの場にもなっている点が興味深かったです。
日本では環境に対して取り組む人がごく一部であることを伝えたら、ここも同じだよと現地の方に言われて、みんなマイノリティなのかもしれない、だからこそシューマッハー・カレッジのような場所が活動家の癒しの場にもなるのかなと思いました。
アクションは社会人になってから、ではもう遅い。学校は失敗して立ち上がるところまで支援を
宮﨑 森さんが、これからの学校教育や環境教育に期待する、こんなものがあったらいいと思うことがあれば教えてください。
森 いっぱいありすぎますね(笑)。一つは、学習者にどれだけ当事者意識を持たせるかを大事にしたいと思っています。
あとは、とにかく経験をさせること。学校の中でも近所でもいいから、シビック・アクションに近いことを一度経験してみる。学校教育とか、教育プログラムの中で失敗をすればフォローができます。
同じウェブアンケートをタイでもやったことがありますが、日本とタイを比べると、地域の中で社会に働きかけるアクションを起こした経験のある人が日本はそもそも少ないんですね。
しかも数少ない経験者に「経験してみてどうでしたか」と聞くと、満足度がとても低いんですよ。だから次につながっていないのか、と見えてきたところです。
社会に放り出されてから、自分で勇気をもってアクションをやってみたときに失敗したときの取返しのつかなさみたいな(笑)。大失敗ではなくても、イベントをやってみたけどあまり人が来なかったとか、やってみたけど周りから冷たい目で見られたとか、思ったほどの影響力がなくてがっかりした、とかいう声が日本には多くて。
そういう人たちだけを集めて、将来的なアクションへの意欲を見てみると、一回もアクションをしていない人よりも低いんですよ。
宮﨑 それはショック。でも心当たりあるかも...
森 社会に放り出されて一人でシビック・アクションに挑戦して大失敗して、もう二度とやらないと思うくらいだったら、学校教育で周りがサポートしている中で挑戦して、コけて(笑)、コけたのをみんなで起こして次こうやればうまくいくから、こうやろう、というところまでやらないと、日本人はアクションを起こすことにどんどんネガティブになっていく。
学校で学ぶだけで、アクションは社会人になったらいつかできるようになるから頑張ってね、ではもうだめなんだろうなと思います。
女性が社会に出ていく過程で、手放すものは少ない方がいい
宮﨑 すごい大事ですね。森さんを全国の教育機関に派遣したらいいのではないかと思いました(笑)
今回のインタビュー、森さんがはじめての女性なんです。前半で、育児や子育てのお話もありましたが、日本では未だ女性の発言機会が限られています。
こうした側面は環境問題にも地続きだと感じます。研究者であり、一人の女性として感じられてきたこと、これからの社会に期待することがあればお願いします。
森 最後、壮大ですね(笑)。シンクタンク時代は女の先輩が多くて、育児と両立されている方もいたんですが、それでも制度的に改善してほしいことはいくつかあって。
その件を上の年代の女性職員に相談したら、「私たちはすごく頑張ってこの状態を実現してきた」と言われ、単純に「そこまで苦労しないと働けないっておかしくない?」と思いました(笑)。苦労して勝ち取ってきたのは大事だと思うんですが、「だからお前も頑張れ」というのは違うだろうと。
私も、仕事と研究、育児をやっていると「すごいね、頑張っているね」と言われるんですが、例えばすごく体力に自信があったり、パートナーの理解に恵まれていたり、何かに秀でていないとこの状況を享受できないこと自体がおかしいですよね。
気合と根性で乗り切れ、女性だから乗り切れというのは前提条件として違うのかなと。
宮﨑 マッチョにならないとだめだとか、よく言われますよね。
森 そうそう。今は状況も変わってきてはいると思いますけどね。
私より前の世代だと、仕事は続けているけど結婚していない人、子供は持っていない人など、何かを捨てないと今の地位がなかった人が多いみたいなので、それは違うだろうと。
私は全部どりをするつもりで、ここまできています(笑)。自分の小学生の娘も根性はある方だと思っていますが、私ほどの苦労をしなくても、やりたい仕事をやりながらいいパートナーを見つけて、子どもを産む産まないは自由ですが、産みたければいつでも産めるような時代になっていてほしいですね。
少しずつ歴代のお母さんが楽になっていく方向になるように、協力できることはしたいです。
宮﨑 リアルですね。私はまだ結婚も出産もしていないので、自分にできるのかみたいなところがあります。
森 なんとかなるんですけど、なんとかする過程で手放すものは少ないほうがいいですよね。
宮﨑 この記事を読んでくれた方が一人でも多く、変化を生み出してくれることを願います。(終)
<対談を終えて>
丹念なインタビュー調査から導き出された、現在の学校教育に対する問題提起は非常に説得力があり、森さんの歯切れのいい表現と相まって、大変引きこまれる2時間でした。
他者と協働して社会に働きかけるアクションの重要性は増す一方で、それがなぜ大事なのかという認識が教育に欠けており、教わる側も行動の選択肢が頭にない以上、いくらその重要性を説いても、社会変革までには至らないというのはなるほどなと腑に落ちました。
アクティビストの一人として抱いてきたフラストレーションや活動する若者の傾向も、行動心理学的な説明がなされることで、客観的に把握でき、自らも普及啓発をする立場として学びになりました。
森さんの意欲的な研究の裏には、幼少期の環境教育への不満や、育児をする上で抱いた、切実な女性としての叫びがあると知り、逆境に屈せず常に挑戦し続ける力の源泉を垣間見た気がしました。
お世辞抜きに、森さんの研究がより多くの方に認知されることを望みます。本当にありがとうございました!
[掲載日:2022年10月5日]
取材協力:国士舘大学 政経学部政治行政学科 専任講師 森朋子さん
取材、構成、文:宮﨑紗矢香(対話オフィス)
参考資料
●対話オフィス「環境問題をどう伝えるか?漫画を使った市民との対話」(講師:京都大学名誉教授・環境漫画家 高月紘さん)
https://taiwa.nies.go.jp/activity/seminar2019.html
●書籍「サステナビリティ・トランジションと人づくり」出版記念ウェビナー(動画/外部リンク)
https://youtu.be/Ll9Fo8a7TRo
●書籍「サステナビリティ・トランジションと人づくり」(外部リンク)
https://honto.jp/netstore/pd-book_31545449.html
【連載】ミヤザキが行く!研究者に“突撃”インタビュー
●Vol.02:田崎智宏さん(資源循環・廃棄物管理の専門家)