気候変動と子どもの権利に関する座談会
【後編】声を上げる力をどう育てる?――日本の課題と私たちにできること
2025年も全国各地で暑さの最高記録が塗り替えられる中、外で遊べない、プールや体育の授業ができないなど、保育・教育現場をはじめ、子どもの体験機会が制限されているという声が相次いで報告されました。
気候変動の深刻化によって、こうした影響は増えることが予想されていますが、欧米など海外では「人権侵害である」として裁判所に訴える「気候変動訴訟」が増加しています。日本では、猛暑の原因が気候変動にあるという報道が少ないだけでなく、気候変動による影響を受けることが人権侵害であるといったとらえ方にはなじみがない印象があります。
そこで、現場で子どもに関わる関係者や専門家、若者当事者に話を伺いながら、個人および社会にできることを考えました。
※注 座談会【前編】はこちら
※本記事は座談会での発言を編集して掲載しています。発言内容は各登壇者の見解であり、所属機関の公式見解を示すものではありません。
後編のポイント
・日本では、気候変動を「権利」や「参加」の問題として学び、使う機会が十分とは言いにくい。
・子ども・若者の声に対する「押し返し(プッシュバック)」は世界的にも課題で、社会の成熟が問われている。
・大人の役割は「支援」だけでなく、子ども・若者と協働(Co-デザイン/Co-パートナー)していく方向へ広がっている。
座談会の様子
<座談会参加者>※敬称略、所属等は2025年11月当時。
・大谷美紀子(弁護士、元国連子どもの権利委員会委員)
・久保田泉(国立環境研究所社会システム領域/対話オフィス)
・川﨑彩子(Fridays For Future東京)
・二本木葦智(早稲田大学政治経済学部2年次、Fridays For Future東京)
・小林悠(小学校英語教員、大学非常勤講師)
・宮﨑紗矢香(国立環境研究所対話オフィス)
再び権利をめぐって―日本の課題と、私たちにできること
宮﨑 大谷先生と久保田さんから、子どもの人権をめぐる近年の動向をお話いただきましたが、改めて日本で気候変動と人権問題を考えたときに、どんなことが課題に挙げられそうでしょうか?
小林 授業で気候変動の話をするときに、どのくらいの度合いで話すかに悩んできました。いきなり人権侵害だという話をすると、問題そのものを知らない人にとっては刺激が強すぎると感じます。これは教育のシステムにも関係していますが、現場は気候変動の基礎的な知識に慣れ親しませることで精一杯です。それを上回って、政治や社会のシステムを変えよう、権利の問題なんだという段階まで行きつくのはかなり感度が高い子のみです。
大谷 全員が気候変動による被害を受けることは権利侵害だという認識に至るのは難しいですよね。小林さんがおっしゃるように、教育の中身にはバリエーションがあると思います。まず、環境問題や気候変動問題の知識を教える段階が一つ。さらにそこから発展して、問題への解決策を考えたり実際に行動したり、社会を変えるためのスキルを学ぶという応用段階があります。
しかし、後者の段階に至るためには、自分たちには声をあげる権利があると学ぶプロセスが必要です。子どもの権利条約には、「意見を聴かれる権利」(第12条)、「表現の自由」(第13条)、「結社・集会の自由」(第15条)がありますが、やはりこうした権利を「ツール」として学ぶことで、自分たちがもっている道具に気づき、実際のアクションやムーブメントに参加することにつながると思います。
二本木 そのツール化が日本の教育は弱いなと感じます。自分が受けてきた教育を振り返っても、意見を表明して声を上げることが歓迎されていない環境でした。自分の意見を自由に発言したり、学校側に働きかけたりする経験を培える場はなかったなと。そういう意味では気候変動問題は主権者教育や、民主主義の問題に関係しているとも感じます。また、子ども自身による意見表明や選択が歓迎されず、気候変動についての知識も得られない環境では、被害を受けたり不快に感じても、どこに働きかければいいのかわからず、小林さんのお話にもあったように子どもたちは不快感をためていってしまいます。そうなれば、他の子どもにあたったり、いじめにつながることもあるのかなと私は思いました。
久保田 気候変動に限らず日本で環境教育というと、理科の先生が担当になることが多いことに疑問をもっています。気候変動がどのようなメカニズムで起こっているかを知ることは、学校の科目としては、確かに理科に近いですが、気候変動対策の話になったときに、制度や個人の権利に結びつけず「こまめに電気を消しましょう」というような、今日できることに矮小化されてしまうことは問題だと感じてきました。選挙での意思表示やパブリックコメントなど、自分の意見の伝え方には多様な選択肢があることを学校で伝えてほしいです。
川﨑 同感です。環境教育は大事ですが、子どもだけではなくて大人にも行動してもらいたいし、環境教育に時間をかけている猶予はないとも思います。今の子どもたちが民主主義の制度で意見を表明できるようになるまで待っていたら、気候変動は深刻化していきます。
小林 私は今、ジェーン・グドール インスティテュートという1977年に米国で発足したNPO(※注1)の日本支部でも働いています。このNPOでは、子どもや若者が地球の現状に絶望してしまうのではなく、行動の中で希望を見出していけると信じて、ユースの環境及び人道プログラムである「ルーツ&シューツ(ROOTS & SHOOTS)」を展開しています。活動を通して、環境教育には3つの役割があることを学びました。
一つ目は環境の「中で」学ぶ環境教育、二つ目が環境「について」学ぶ環境教育、三つ目が環境「に対して」どのようなアクションをとるかを学ぶ環境教育です。中でも、三つ目のアクションの起こし方を学ぶ教育が日本には欠如していると感じます。最近は高校で探究学習が奨励されているので、より環境問題や地域・社会課題に目を向ける視点が必要ですよね。ただ先述したように、教育は、子どもの発達段階に応じた働きかけや受け止めが求められると思うので、権利の問題にすぐ結びつかなくても、自然の中でつながりを感じる経験、それが気持ちいいと思う人が一人でも増えるだけで価値だと思っています。
※注1 ジェーン・グドール インスティテュートについてはこちら
大谷 こういう話になると、日本の教育の問題に必ず行きつきますよね。教育を変えることは大変ですが、でもそこから始めるしかないとも思います。FFFもそうですが、グレタさんが声をあげたことで世界中にムーブメントが広がりました。子どもや若者があげた声に大人が応えて、その機運を逃さないよう、手遅れになる前に、子どもや若者と一緒にできることを探していくことが大事だと感じます。
一方で、子どもの権利条約採択から35年が経った今も、子どもの権利に対する人々の認識は道半ばだと感じています。子どもは大人の言うことを聞いていればいい、言いたいことがあるなら、自分にできることをやってから言いなさい、という態度は昔も今もあります。大人と同じように、子どもも人格をもつ一人の人間だという認識が社会に定着していないばかりか、最近では「プッシュバック」と言う、子どもの権利の推進に対する押し返しが起きており、子どもに権利があるという考え方自体を否定するような発言をする国も出てきています。
私はこれまで女性の人権運動にも関わってきましたが、社会の意思決定から除外されてきた女性がエンパワーされ声をあげ始めると、これまで社会で権限を独占してきた男性が脅威や危機感を感じて女性の人権に対する反発の反応を示すのと同じようなことが、子どもの人権、子どものエンパワーメントについても起きているように感じます。子どもが自分の権利を知り、エンパワーされ、いざ意見を表明し始めると、子どもが言うことを聞かなくなると脅威を感じてしまう傾向があるのではないかと思います。FFFの運動が世界中で盛り上がっていたときに、当時のオーストラリアの首相が「子どもは学校に戻れ」と発言したことが問題になりました。
たしかに子どもは思ったことをすぐ口にするし、忖度せず、おかしいことはおかしいとストレートに言ってしまうので、扱いにくく感じることはあるかもしれません。しかし、それは子どもの持つ特性です。人間として同じ人権を持つとはいっても、心身ともに発達段階にあり、社会的にも未経験な子どもたちとどう向き合うかは大人にとっても挑戦ですし、子どもを同じ社会のパートナーとして受け入れられるかどうかが問われていると思います。子どもの権利条約ができたからといって、そうした社会が急に実現するものではなく、永遠の課題だと感じています。
まとめ 座談会に参加しての感想
宮﨑 子どもだけでなく、私たち一人一人が権利をもつ主体であることを自覚して、子どもと共に声をあげていく。そんな不断の努力が求められていると感じました。最後に、今回の座談会に参加してみての感想を一言ずついただきたいと思います。
二本木 日本でも、もっと権利や人権という視点で気候変動問題を伝えていきたいと思いました。人権とは高尚な、雲の上にあるようなものではなく、もっと草の根のもので、意外と身近にあったり、取りこぼされていたりするものだと思いました。また、子どもや若者が声をあげる「ツール」は、勧告的意見や一般的意見26号のような形で整備されつつあるのだなとわかったので、自分の活動でも意識して広めていきたいと思いました。
川﨑 今回の座談会を受けて、同じ「主体」を持つ者同士として、大人と子どもはどうしたら対等に話すことができるか?という問いが浮かびました。私は25歳なので、いわゆる「若者」カテゴリーの中では年上ですが、今日伺った「エンパワー」というものが、より大事だと感じました。これまでは捉えどころのない、ふわっとした概念だと思っていましたが、自分が持っている知識や特権を、いかに偏りなく分け与えることができるのかというものだと理解できました。たとえば、知識は自分の方がより多く持っていたとしても、その子にしか経験できないことや、わからないことがあって、そういう意味で子どもと大人は対等であるという意識を広げていきたいです。
小学校などで「哲学対話」をやることがあるのですが、この場では知識ではなく、一人一人の経験に基づいて話すというルールがあります。いわゆる発達障害など特性をもつ子でもいきいきと話す様子に出会うので、そうした経験や個性を尊重できる場を、今後の活動の中で増やしていきたいと感じました。
小林 一番印象的だったのが、子どもの権利に対する「プッシュバック」の風潮が世界で強まっていて、それがジェンダー平等と同じ構図だというお話です。たしかに、子どもから怒りをぶつけられたら自分も罪悪感を覚えるだろうし、大人として責任を果たせているのか、自問自答すると思います。一方で、「子ども・若者」と「大人」という世代間対立の視点だけではなく、現在世代という立場では、両者は同じ時代を生きるパートナーでもあるとわかりました。この二つの視点を持ち続けながら、ユースと関わっていく姿勢を持ち続けていきたいです。
久保田 みなさんのお話を聞いて、気候変動影響の切迫感を改めて感じました。今回紹介した、国際司法裁判所の勧告的意見には、気候危機は国際法の知見だけで解決できるものではなく、あらゆる知識分野の貢献が必要であると述べられた箇所があります。法学研究者として、この勧告的意見の「人間臭さ」みたいなものを、国際的な気候変動関連の法政策動向などとあわせて、様々な切り口で今後も伝えていきたいです。
大谷 子どもの権利委員会での活動を通じて私が大事だと思ったことは、権利の主体者である子どもや若者を、いかに大人が支えるかということです。国連には「人権擁護者」(Human Rights Defender)という言葉があります。日本ではあまり使われない言葉ですが、活動家であれ、一般人であれ、人権の保護と促進のために活動する、すべての個人や団体をさします。この中には気候変動問題についての活動を行う、子どもも含まれます。しかし、彼らが意思決定に影響を及ぼしたり、民主主義のシステムで声をあげ、実際に社会を変えようとしたりするときには、ある種のスキルが必要になります。そこを大人が支える必要があり、さらに最近は支援を超えて、どう一緒につくりあげていくか、どう協働するか(「Co-デザイン」、「Co-パートナー」)も課題に挙げられています。
実際は、支援者である大人も社会変革の実現には苦労していますが、だからこそ、大人が子どもから学ぶこともあり、子ども・若者を人権擁護者として支援しつつも、時にはフラストレーションを共有しながら、一緒に社会を変えていくことが求められています。今日明日で何かを変えることは難しい。でも、仲間と連帯してつながったり、ツールやスキルを学ぶ機会を得たりすることで、将来に対する不安が軽減されて、行動が変わっていくのではないかと希望を持っています。
<座談会を終えて>
社会変革の実現には大人も苦労しているというお話がありましたが、大学時代から環境活動を続けてきて、いつのまにか社会人になった自分自身も、環境問題がひっ迫する一方で社会を動かせない現実にフラストレーションを抱えてきました。
身体的、社会・経済的に脆弱な立場にある子どもが未熟ながらも変化を起こそうと行動する際には、なおさら他者の支援が求められると感じます。国際情勢が不安定化する中、気候変動問題も窮地に立たされていますが、願わくば分断ではなく、あらゆる世代や背景をもつ人々と協働しながら、問題解決に向けて漸進していきたいと感じました。
みなさん、ご参加ありがとうございました!
※注 座談会【前編】はこちら
[掲載日:2026年3月16日]
取材、構成、文:宮﨑紗矢香(対話オフィス)


