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「化学物質は身体に悪い?」
-最新知見から考える便利さとリスクとの付き合い方

はじめに


 最近、アレルギーや化学物質過敏症など、化学物質が原因と思われるさまざまな疾患が話題となり、身の回りの化学物質が健康に及ぼす影響について関心を持つ人が増えています。

 化学物質といえば、90年代後半に「ダイオキシン」や「環境ホルモン」などの危険性がメディアで大きく取り上げられ、社会問題となったことがあります。報道が過熱する中、専門家などから「騒がれすぎ」「事実誤認」などという意見が出てさらなる騒動になりました。(※注1)

 しかし、実際にそれぞれの物質がどのように健康に影響するかということについて素人にはよくわかりません。そのため、「化学物質」という言葉自体に漠然とネガティブなイメージを持っている方も少なくないと思います。

 今回の記事では、化学物質と私たちとの生活との関係、そして化学物質とどうつきあっていくべきなのか、医師で研究者でもある当研究所の中山祥嗣次長から、最新の研究結果等も交えながら話を聞き、対話オフィスがまとめました。

※注1 環境省「"環境ホルモン騒動"を検証する Part 1」(2005年10月31日 掲載)(外部リンク)

中山祥嗣次長の写真

話を聞いた環境リスク・健康研究センター、エコチル調査コアセンターの中山次長


化学物質とは何なのか?私たちの健康との関係は?


 「化学物質」という言葉は文脈に応じて様々なものを指しますが、広くは身の回りのすべてのものを構成する存在だと知っていましたか?

 水や野菜など私たちが普段口にするもの、そして私たちの身体も、様々な種類の化学物質から成っているのです。

 化学物質は自然界に存在するだけではなく、その性質に応じて、医薬・食品・繊維など多くの産業で製造・利用され、人間の生活に役立てられています。

 例えば、病気の治療などに使われる医薬品、洋服の生地に使われる染料、プラスチック製品や、鍋の焦げ付き防止加工など、化学物質は様々な用途で活用されています。

 化学物質の上手な利用は、私たちの生活を豊かに、そして便利にしてきたと言っていいでしょう。

 その一方で、やはり健康に悪影響を及ぼす物質も多く知られており、そのような物質が身の回りにあると、食べ物と一緒に摂取したり、空気中に漂うものを吸い込んだり、皮ふに触れたりと、様々な予期せぬ経路で曝露(体内に取り込んだり、接触したりすること)してしまいます。

 過去には、サリドマイド薬害(※注2)、アスベスト問題(※注3)、印刷業での胆管がん多発などで、特定の化学物質が多くの人の命を奪ったり、胎児に異常をもたらしたことがあるのも事実で、化学物質によっては脳、神経、心肺など、身体の様々な部位に大変な疾患をもたらすこともあります。

※注2 環境省「おしえて、エコチル先生!(第9回)」(外部リンク/PDF)

※注3 環境省「私たちの環境とアスベスト」(外部リンク/PDF)


注目の化学物質「内分泌かく乱物質」って?


 人間の健康に影響し得る化学物質の中でも中山さんが注目しているのが「内分泌かく乱物質」とよばれる化学物質のグループです。

 内分泌かく乱物質というのは身体で重要な役割を持つホルモンに似た性質の物質で、より一般的には冒頭でも触れた「環境ホルモン」として知られています。

 ホルモンは体内で分泌されており、成長、睡眠、月経など、健康に関わる様々な機能を調節しています。

 健康な身体の中では、ホルモンが生成・分泌されるタイミングや量はうまく調節されているのですが、体外から内分泌かく乱物質が入ってくると、体内のホルモンの作用の邪魔をして、バランスが崩れ、場合によっては健康に悪影響が出てしまいます。

 内分泌かく乱物質だと考えられている物質は現在、プラスチックの原料や、家具や電子製品の難燃剤、調理器具の焦げ付き防止加工をはじめとする様々な身近なものに使用されています。

 これらの製品から内分泌かく乱物質が出てきてしまい、ほこりや空気中に放出されたものを吸い込む、あるいは食品に溶け出したものを食べる、といった方法で、体内に入り込むと考えられています。

家具や電化製品が並ぶ室内の写真

家具や電化製品など、内分泌かく乱物質は私たちの暮らしの身近なものに含まれているそう。


今「内分泌かく乱物質」に注目する2つの理由


 健康に影響を及ぼす内分泌かく乱物質が、こんなにも身近な物質というのも気になりますが、注目が集まっている理由はそれだけではありません。

 中山さんによると注目点は他に二つあります。まず一つ目として、内分泌かく乱物質は微量での影響が指摘されているという点です。

 従来、化学物質の影響は曝露量で決まる、少量であれば毒とはならない、という考えがありました。

 しかし中山さんによると、非常に少ない量に短期間曝露するだけで、長い年月を経た後に、健康への悪影響として現れるおそれのある化学物質もあることが近年わかってきており、その一つが内分泌かく乱物質なのだそうです。

 例えば、人間の胎児期にはそれぞれの器官や機能が発達する時期があり、そのような時期に特定の化学物質に曝露すると、成長後に脳や神経の発達、ホルモンの作用などに障害があらわれるという研究が報告されています。

 そして、二つ目の理由は、内分泌かく乱物質の社会規模での影響です。

 健康への影響ということを考えると、まずは自分や子供、家族や身の回りの人物など人間個人のことを心配しがちですが、現状では、一人一人の健康におよぼす影響はごくわずかかほとんど目立たない程度です。

 これはよく研究者が、「この化学物質とこの健康影響に関連がみられましたが、それは医学的(臨床的)には心配のない程度です」という説明をする理由です。

 しかし、「一人一人の健康におよぼす影響は小さくても、社会全体にとっては、大きな影響となるおそれがある」と、中山さんは言います。医療・療育・教育費の増加や労働生産性への影響などがその例です。

「例えば個人のIQ低下や出生体重の減少も、一人一人にとっては無視できるほどでも、国民全体に及ぶと、多額の経済損失につながるおそれがあります。

 内分泌かく乱物質による経済損失は、少なく見積もって、EUで年間約24兆円、米国で年間約37兆円と試算されています(1ドル110円換算)。これは、EUではGDPの1.25%、米国ではGDPの2.33%にあたります。

 内分泌かく乱物質は『今そこにある危機』であり、世界でも感染症に次いで大きな問題」と中山さんは話します。

社会や経済をイメージした写真

一人一人にとっては小さな影響でも、社会にとっては大きな影響になることも。


では、「化学物質」とどう付き合う?


 すでに多くの化学物質が私たちの暮らしになくてはならないものになっていますが、化学物質がもたらす影響も踏まえた上で、どのように付き合っていけばよいのでしょうか?

 農薬やプラスチック製品など、有害の可能性が指摘されている化学物質を一切使わない生活をするというのもの一つの選択肢。けれど、たとえば食べ物はすべて無農薬、フライパンは鉄製で…という生活を送ろうとしても、それは現実的ではないと中山さんは言います。

「すべて失くすという姿勢ではなく、化学物質の健康への影響を明らかにし、理解し、影響があると分かった物質の使用を減らす、やめるなどして、その影響を予防することが必要。

 理想的には、個々人が正しい知識を身につけ、化学物質の利点とリスクを正しく理解し、消費行動につなげることが、健康に過ごすためには重要です。

 けれども、個々人でリスクを判断してもらうというのは非常に難しいため、社会をどうしていきたいかを考える必要がある」と中山さん。

「また、使用をゼロにしなくても、ほんの少しずつ減らして、一人一人の曝露を少しずつ下げれば、先ほどの逆の理屈で、社会全体としては大きな得になります」

 影響がわからないものがたくさんある中でどう付き合うかということは、社会をどう作っていくかということとほぼイコールだと話します。


社会規模で考える、化学物質との付き合い方


 例えば、行政からの対策としては、どんなことが考えられるでしょうか。

 影響のある化学物質の使用を規制したり、代替物質への切り替えを行ったりという取り組みがあります。有名な例としては、ガソリンに含まれる鉛の削減や鉛製の水道管の取り替えに取り組んだ結果、人々の血中の鉛濃度を低下させることができました。

 また、テフロンR等の原料として使われた有機フッ素化合物も、企業との連携で代替物質への切り替えが進み、その血中の濃度も下がってきていることが分かっています。

 ただし、化学物質の場合は規制だけでは難しいだろうと中山さんは考えます。化学物質が明らかな悪影響を持つと断定されないかぎり、なかなか規制につながらないのです。

 また、先ほどの説明のように、規制や協力によって代替物質への切り替えを行う場合、その代替物質の長期的な影響が十分に検討されないことも多くあります。

 例えば、プラスチックの原料として使われるビスフェノールAは、米国食品医薬品局(FDA)によって哺乳瓶や子ども用の食器などへの使用が禁止され、その結果、ほんの少し化学的な構造を変えた物質(※注4)が多数使われるようになりましたが、それらの物質の健康への影響は、調査がほとんど進んでいない状況です。

 一方で、行政による規制がなくても成功した例もあります。

 例えばイギリスでは、政府系機関やNGOなどが食品業界と協力して自主的に食塩の添加量を削減しました。業界全体が協力することにより、味や食品消費量に影響を与えずに国民全体の食塩摂取量を減らすことに成功した例です。

※注4 ビスフェノールS、ビスフェノールF、ビスフェノールAF等。

人型の紙人形が手をつないで並んでいる写真

規制がなくても、業界団体、企業、市民などが協力して社会を動かすこともできる。

 また、シートベルトの例を考えてみると、今では着用が当たり前となっていますが、以前は着用が義務化されても着用率はなかなか上がりませんでした。

 それが自動車業界によりシートベルト未着用時に車から警告音を鳴らすようになると、運転席や助手席のシートベルト着用率は90%を超え、シートベルト着用によりけがの程度が軽くなったり、命が救われたりしました。

 規制や義務化ではない自主的な対策によって、医療費が減り、経済損失が減った例といえます。

 世の中や投資家の声が企業を動かすこともあります。地球温暖化対策をしていない企業には投資をしないという投資家やファンドの存在が、温暖化対策を後押ししています。

 今や企業は、環境や社会に配慮する「ESG経営」(※注5)を求められていて、安全な化学物質を製造、使用することも、今後はその一部と考えられていくだろうと言われています。

 このような社会的な対策の基礎には、精度や信頼性の高い研究が欠かせません

 現在、世界中で化学物質と健康に関する大規模な調査が行われており、当研究所の参加する「エコチル調査」もその一つです(詳しくは後述)。これらの研究は、大規模であるからこそ、ある物質のわずかな悪影響でも検出することができると考えられています。

 逆に考えると、このような研究では、調べた結果、健康への影響がないことが科学的に明らかにされる物質も出てくることが期待できます。

 そうなれば、企業のブランディングとして、安全であると判明した物質のみ使用するなど、新たな可能性も出てくると中山さんは言います。

 このように社会規模で考えると、これからの化学物質との付き合い方には、行政、企業、消費者など、様々な方面からのアプローチがあるといえます。

※注4 ESG経営とは?
Environmental(環境), Social(社会), and Governance(ガバナンス)。環境や社会に配慮する経営スタイル。


おわりに


 私たちの生活を豊かにしてきた、様々な化学物質。有害の可能性が指摘されるものが多くある中、個々人の努力でその一切の使用をやめることは不可能に近い社会に、我々は生きています。

 昨今のコロナ禍では、感染症が、個々人や特定の地域だけの問題ではなく、社会全体に大きな影響を与えることを身にしみて感じた人も多いと思います。

 感染症と異なり、化学物質の健康影響は、普段はほとんど目に見えません。

 様々な化学物質が日常生活にありふれているという意味では、その影響を考えるときにも、対策をするにも、個人の視点だけではなく社会というより大きな視点も大切かもしれません。

 化学物質の性質を解明するための研究は日々進められています。それぞれの物質について、安全、あるいは危険であることがより明確になれば、その物質との付き合い方をより良く考えることができます。

 その過程に貢献できるよう、当研究所も研究活動とその成果の発信に取り組んでいきます。(終)

河原で人が詰まって談話している写真

社会として化学物質とどう付き合っていけばよいのだろうか?


ミニコラム

内分泌かく乱物質の最新研究とこれから

 内分泌かく乱物質について、中山さんも参加する国際チームが最新の研究成果(※注6)を発表しています。

 過去の30年間の関連研究を用いて内分泌かく乱物質の健康への影響が検討された結果、いくつかの内分泌かく乱物質について、健康への悪影響があるおそれが、より明らかになりました。

 今後は複数の化学物質に同時に曝露した場合の影響などを調べる必要があるそうです。

 このような研究への活用が期待されているのが、「コホート」と呼ばれる調査方法です。特定の集団を一定期間追跡し、健康状態とその要因の関連を調べます。

 国内でも「エコチル調査」(※注7)という10万組の親子を対象とした大規模な調査が行われており、子どもの健康と環境の関係について、子どもが生まれる前から13歳になるまで継続的に追跡しています。

 国立環境研究所も参加しているこの調査は2027年まで続けられる予定で、最終的な研究の結果が発表されるのは、それよりも後になります。

 健康に関する大規模な調査では、影響について明らかになるのに、非常に長い年月がかかります。

 対策につなげるには信頼できる研究結果が欠かせませんが、結果が出るまで長い間待たなければならないこともあります。

※注6 最新の研究成果を発表したプレスリリースはこちら

※注7 エコチル調査についてはこちら(外部リンク)

[掲載日:2020年11月27日]
取材協力:環境リスク・健康研究センター、エコチル調査コアセンター 中山祥嗣次長
取材、構成、文:川田 能理子(対話オフィス)


参考関連リンク

●環境省「"環境ホルモン騒動"を検証する Part 1」(外部リンク)
https://www.env.go.jp/chemi/end/endocrine/5column/t-1.html

●環境省「おしえて、エコチル先生!(第9回)」(外部リンク/PDF)
http://www.env.go.jp/chemi/ceh/supporter/column/column14.pdf

●環境省「私たちの環境とアスベスト」(外部リンク/PDF)
https://www.env.go.jp/air/osen/law/03.pdf

●国立環境研究所「エコチル調査に高い期待が寄せられています:パクト医学雑誌「The Lancet Diabetes and Endocrinology」で紹介されました」
http://www.nies.go.jp/whatsnew/20200727/20200727.html

●環境省「エコチル調査」(外部リンク)
https://www.env.go.jp/chemi/ceh/


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